syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

昭和の忘れもの

「唯一の勲章」

三菱鉛筆 手動鉛筆削り器】モノ・コト編⑦

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 何の変哲も無い、錆の浮いた古い鉛筆削りである。

 実に半世紀以上も前の代物だが今でも現役で、思い出したように世話になる。これまで、レアではあるが一定数の人たちに認知されている事物を取り上げてきた。その意味では今回は異例だが、以前書いたワープロとの絡みもあり、ご容赦頂きたい。

 こんな時代物を使い続けているのは、これが自分にとって唯一の勲章だからだ。

 小学五年生のクラス担任は、ヨシコ先生(仮名)といった。彼女は担当の国語の授業はもちろん、クラスの担任としても熱心で、それこそドラマのような熱血教師だった。

 何かの課題で、子供会の活動についての作文を書いたことがあった。数日後、ヨシコ先生に呼び出された。作文の文字が汚くて注意されるのかとびくびくしていたら、思いがけないことを言われた。

「○○くん。あの作文、題名を直して清書してくれる?」

 何でも、内容がある作文コンクールのテーマに合っているので、学校代表として応募したいという。訳もわからず、言われるままに書き直して先生の元に持って行った。

 それから三ヶ月ほどして、「全国観光作文コンクール」で入選したと知らされた。狐につままれたようで実感がなかったが、後日、賞状と記念品を手渡された。その時の記念品がこの鉛筆削りである。

 優勝とか賞とかいうものには縁が無く、後にも先にもこれだけだ。

 当初は浮かれて、やたらに新しい鉛筆を削ってみたり、わざと芯を折って削り直してみたりしたものだ。ただ、そんな熱もすぐに冷め、使用頻度は減っていった。それでもそれから50年、こいつも我が身もお互いに何とか持ち堪えている。

 物置の奥に押し込むでもなく手元に置いていたのは、恥ずかしながら心のどこかでささやかな拠り所としていたのだろう。

 意識はしていなかったが、ゴリゴリとハンドルを回す度に、

「鉛筆の芯同様、おまえもまだ尖(とんが)れるさ」

 そう励まされていたのかもしれない。

 しかし、今やその尖端は何処へ向ければいいのやら・・・さて、難問である。

昭和の忘れもの

「煙(けむ)に巻く」

カワサキ 500SSマッハⅢ】バイク編⑦

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 直線番長、暴れ馬、クレージーマッハ等々・・・揶揄する言葉はいくつもあったが、バイク史に残る鮮烈な個性の持ち主であることは間違いない。

 エンジン特性は過激で音はうるさいし、コーナーは曲がりにくい。おまけに、高速ではオイル混じりの白煙を大量に吐き出しながら疾走する。誰がこんなマシンを好き好んで選ぶのだろう?

 そんなふうに思っていたら、選りに選って仲間のMが得意満面で乗り付けてきたので皆が驚いた。彼はおとなしい性格で、ぽっちゃりした体型と愛嬌のある笑顔も含め、マシンとのギャップが不思議で仕方がなかった。

 ある夏、仲間五人でロングツーリングした際のことだ。地方の街で、地元の暴走族に絡まれそうになったことがあった。たまたま仲間の一台が信号に引っかかって遅れたので、速度を落として走行していたのだが、彼らには挑発行為に映ったらしい。

 相手にする気はなかったが、数台のバイクにしつこく付きまとわれた。さすがに閉口したので振り切ることに決め、速度を上げた。当然相手も追随してきて、ちょっとしたレースになりかけた。その時、後方から白煙を吐きながら猛追してくるマシンがあった。遅れていたMのマッハⅢだった。状況がわからないMは暴走族のバイクをごぼう抜きにし、僕らの最後部に追いついた。仲間が揃ったところで、さらに加速して難を逃れた。

 しばらく走って、ドライブインで小休止することにした。

「やけに飛ばしてたけど、俺を置いてきぼりにするなんて冷たいじゃないか」

「そんなはずないだろ。何より、面倒にならずに済んだのはお前のおかげさ」

 噛み合わない会話にもMは笑顔だった。

 彼は事の顛末を把握していなかったが、“クレージー”なマシンを乗りこなしているライダーを目にして、暴走族の連中は本能的に怯んだに違いない。

 彼を知らない連中は、マシンの特性を勝手にライダーの人物像に結びつけたのだ。確かに、自分たちを無視して、白煙を上げてかっ飛んでいく人間とまともに張り合おうとは思わなかっただろう。

 知らぬが仏。やんちゃな連中を、文字通り”煙に巻いた”古い逸話である。

 

昭和の忘れもの

スーパーサブ

【ミツナガ サッカースパイク「アーセナル」】モノ・コト編⑥

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 中学時代はサッカー部だった。地区予選では勝ち上がるが、県大会では一回戦を突破できるかどうかといったレベルだった。

 明らかな力の差があったことも事実だが、グラウンド(ピッチ)の問題もあった。というのは、県大会の行われるO競技場はきっちり芝生が張られていたのだが、いつも練習しているグラウンドは砂混じりの硬い土で、ターンの踏ん張りもボールコントロールも芝生とは勝手が違った。尤も、芝生のグラウンドを備えている公立中学などほとんど無かったから、条件は同じなのだが。

 他に、スパイク問題があった。全校生徒で共用する校庭が荒れるという理由で、スパイクの使用は試合当日(ホームゲーム)とその直前の練習に制限されていたのだ。普段の練習はアップシューズだったので、履き慣れないスパイクでは実力を出せない者もいた。これには当時の風潮も影響していて、高価なスパイクを長く使い続けられるようにという学校側の配慮もあったのだろう。当然、父兄側も経済的理由で歓迎だった。

 だが、そんな大人の都合はどうでも良かった。当時のサッカー少年にとって、本格的なサッカースパイクは憧れだった。高価だったことも含めて、簡単に手に入れることができなかった現実が渇望感を煽ったのかもしれない。

 一方で、残酷な現実もあった。実質的にスパイクが使用できるのは試合の時だけなので、レギュラーと準レギュラー以外はスパイクを履く機会が無い。試合用のユニフォームとトランクス、そしてストッキングは二、三年の全員が用意していたが、我が校のサッカー部はそれなりに大所帯だったので、三年間試合に出る機会のない部員も多かった。中には早々とレギュラー入りを諦め、割り切ってスパイクを持たない者もいた。

 頭を痛めるのが、当落ギリギリの選手だ。同じポジションの他の選手の出来によって変動する微妙な立ち位置。まさに自分がそれで、前後半どちらかの起用というパターンが大半だった。周りは「おまえはスーパーサブだ」と言って持ち上げてくれたが、いわゆる「切り札」的な能力は無く、そこそこの仕事はできるが・・・程度の半端な存在だという自覚はあった。

 それでもスパイクに対する憧れは当然膨らみ、熟考を重ねてコスパの高いミツナガの「アーセナル」に決めた。ところが近隣のスポーツ用品店では扱っていないことが判明し、大いに焦った。現在のようにネットもないし、通販の扱いもなかった。やむなく、神田の店舗まで電車を乗り継いで足を運んだ。

 そうやってようやく手に入れたスパイクを履いて初めて試合に出た時の晴れがましさ―――あの感激は今でも忘れない。

 結局、このスパイクで臨んだ試合の通算公式記録は1ゴール、2アシストだった。この数字はあの時の昂揚感とは裏腹に平凡そのもので、その後の人生を象徴していたようだ。

 わかりきっていたことだが、我が身に「スーパーサブ」は存在しなかった。


 

昭和の忘れもの

「路地裏の銃撃戦」

【セキデン 銀玉鉄砲】 モノ・コト編⑤

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 「銃撃戦」とは穏やかではないが、もちろんおもちゃの拳銃の話だ。

 銀玉鉄砲は小学生時代の、少年の必須アイテムだった。敵味方に分かれ、プラスチック製の銃からバネの力で発射する銀玉(弾)で撃ち合う。現在のサバイバルゲームの原型だ。拳銃本体も装備も格段の進化をしているが、本質は変わっていない。

(いきなり小学時代に歳月が遡って戸惑う向きもあるかもしれないが、当ブログは筆者の思いつくままに記しているので、時系列はランダムである。改めてお断りしておく)

 さて、話は少年に戻る。

 ゲームというからにはいくつかのルールがあった。ただし、銃撃戦の場所や人数によって随時変更された。弾数に制約があったり、奇襲攻撃の可否等々・・・他の遊びがそうであったように、けっこう民主的に皆の意見を擦り合わせてルールは決められたのだ。

 そうはいっても、銀玉鉄砲の射程距離はせいぜい10メートル。相手の表情が読める距離である。あの頃、少年はどんな気持ちで引き金を引いていたのだったか? 

 いや、おそらく何も考えてはいなかったのだろう。決めたルールに従い、相手に向けて夢中で弾を撃ち続けていただけだ。この姿勢はどんな遊びも一緒で、理屈抜きで楽しみに没頭していたはずだ。近年のサバイバルゲームに持ち込まれる頭脳戦、日頃のストレスの発散、挙げ句は狩猟本能の発現とかいった能書きは存在しなかった。

 疑いもなく刹那の享楽に身を投じることができた時間―――それを分析・解説することは無意味だろう。そんな時間が存在したことを、ただ認めればいいのだ。

 故に板塀の陰に身を潜め、時に原っぱや林の中を駆け巡りながら無心に銀玉を撃ちまくっていた少年の中に、「明日に向かって撃て!」などと洒落た台詞を口にする者は、もちろんいなかった。

 もっとも、映画の公開は数年後のことではあったが。

 

昭和の忘れもの

「度胸試し」

ヤマハ RT360(画像は改良型)】 バイク編⑥

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  70年代の始めにヒットしたヤマハのオフロードバイク「DT250」の兄貴分だ。

  DT250は街乗りもこなす優等生だったが、この兄貴は荒くれ者で不評だった。にもかかわらず取り上げたのは、乗っていたIという人物の印象が強烈だったからだ。

 ある夏の日、仲間とバイク談義に花を咲かせているところにふらりと彼は現れた。

 チェックのハーフパンツにストライプの開襟シャツ、足元は素足に革靴(明らかに父親のお下がりと思われるビジネスシューズ)だった。ファッションは個人の自由とはいえ、女子受けを第一義に日々心を砕いていた仲間たちは一斉に引いた。

 彼の乗っていたRT360(初期型)にも全員が眉をひそめた。このバイクは「ヒールクラッシャー」という異名を持ち、不慣れな人間がエンジンを掛けようとするとキックペダルを踏み込めずに跳ね返され、強烈な一撃(ケッチン)を食らってしまう。結果、踵の骨を砕かれて松葉杖の世話になった人間を実際に二人ほど知っている。

 高価なライディングブーツには手が届かず、防御手段としてやむなくお下がりの革靴で代用したのだろうと察したものの、Iとは歩み寄れなかった。

「エンジンをかけられたら好きに乗っていいぜ。その度胸があればな」

 彼は仲間の輪に割り込んできてはそんな挑発を繰り返したのだ。当然、誰も相手にしなかった。そんな無謀な度胸試しなど端からお断りだ。

 しばらくしてIは顔を見せなくなったが、心優しい仲間のひとりがぼそっと言った。

「あいつ、ほんとは仲間になりたかったんじゃないかな」

 だが、同意する者はいなかった。もしもそうなら、もう少し違うアプローチの仕方があっただろう。だいたい、服装もバイクの嗜好も自分たちとはあまりにかけ離れていて、およそ持っている世界が違う気がした。

 Iの本心はわからずじまいだが、RT360を愛車に選んだ時点で“超”個性的であることは確かで、ブレずに一匹狼を貫いていれば周囲の見方も違っていたかもしれない。

「目撃!謎のRT乗り」あるいは「孤高のライダー出没!」とか?

 

 

「朝寝坊の理由(わけ)」

【ショートストーリー】

「昭和の忘れもの」 番外編

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 ペットボトルにお気に入りの“名水”を詰め、自分で挽いてブレンドしたコーヒー豆をプラスティックのフィルムケースにパックする。このフィルムケースというやつは実に便利で、クリップとか虫ピンといった小物の整理にはもちろん、少量の調味料・香辛料の入れ物としても重宝する。

 愛車で出掛ける際には、こいつの密閉性というのが特に重要だ。何しろ愛車には屋根が無い。いや、ドアさえ無い。タイヤもふたつだ。そう、私の愛車というのはバイクなのだ。

 その週の仕事を終えた帰り道、星がきれいに見えていると自然に足が速くなる。

 夕食後、形ばかりの書斎コーナーに籠もって地図を拡げる。ここから私の「アローン・ミッドナイトラン」が始まる。自然に口元が緩んでしまう一時だ。

 片道およそ100~150km。この辺りが無理のないところだ。ツーリングバッグに例のペットボトルとフィルムケース、キャンピング用のランタンと小型のバーナー、ポット、ドリッパー、愛用のマグカップといった一式を詰め込めば準備完了。その日の気分で決めた目的地に向けてスロットル・オンーーー。

 深夜まで続く都会の喧騒を切り裂きつつ、次第に暗く、けれども軽くなっていく夜気を全身に受けては置き去りにしていく。あらゆる人工の音が薄れてゆき、自然の音だけが耳朶に届く。唯一の例外は、自分の腹の下に抱いている多気筒エンジンのメカニカルなハミングだ。

 それは右手首の微妙な動きに敏感に反応し、ガードレールや山肌の擁壁に反射するエグゾーストノートと完璧なハーモニーを奏でる。それを全身で体感した瞬間、例えようのない恍惚感を覚える。同時に時間の感覚も曖昧になり、目的地まではあっという間だ。

 湖の畔にバイクを停める。さすがに人気はない。月明かりを頼りに、バッグから例の一式を取り出してコーヒーの準備をする。

 湯が沸くまでバーナーで暖を取りながら月を眺め、殆ど漆黒の山の稜線を追ってみる。すると、底なしの静寂の世界が、五感に雄弁に語りかけてくる。時折、背後でチンチンと愛車のマフラーが冷えていく音が存在を主張するが、あとは自分の息遣いが耳元で聞こえるほどだ。日常生活では決して味わうことのない、新鮮な体験だ。

 そんな思いに身を委ねていると、沸騰しかけたポットが呟き始める。それを合図にバーナーから下ろし、豆をセットしたドリッパーに丁寧に湯を注ぐ。たちまち、鋭敏になっている嗅覚を何とも言えない芳香が刺激する。逸る気持ちをぐっと我慢し、さらにゆっくりと湯を注ぎ、マグカップが満たされるまでじっくりと待つ。

 そうしてようやく至福の時が訪れる。その淹れたてのコーヒーを一口含んだ時の美味さ。これは感動ものだ。不思議なことに、同じ豆を同じ道具で淹れても、家では絶対に同じ香りや味にならない。

 ゆっくりと時間をかけ、心ゆくまでコーヒーを味わいながら、何も考えずにただ吹く風や葉擦れの音に耳を澄ませる。

 春先なら新芽の萌え出る匂いが鼻先を掠め、夏の夜なら虫の声と幾多の生き物の息づきが、絶えず夜気を震わせるのが伝わってくる。秋には落ち葉の乱舞が闇の中でもはっきりと見え、冬の木枯らしは心の中まで吹き抜けていく。

 こうして自然の中の自分という存在が俯瞰できると、日常の些事が本当にちっぽけな、取るに足らないものに思われてくる。

 やがてどこからか薄っすらと、紫とも灰色ともつかない仄かな色が天空に浸み出し、自然のホリゾントが背景を飾り始めるころ、すっかり冷え切ったエンジンに再び生命を吹き込む。

 のんびりしたペースで、ゆっくりと山路を下る。時間の流れとともに、刻々と光と風の綾なす情景が変化する。空気の密度も匂いも、同じ瞬間を留めることはない。そうした総べてがリアルタイムで、自然と時間を共有しているという充足感が全身に拡がっていく。

 その余韻をどこかに残しながら、早朝の、まだ前夜の張りつめた空気が街中に残っている時間に帰宅し、心地よい疲労感を味わいながらベッドに潜り込む・・・。

 

 昼近くになって起き出し、何事もなかったように食卓に着く。そこには、いつものように新聞とコーヒーが置いてある。

「おとうさん、ずいぶん朝寝坊だね」

 小学生になったばかりの息子が、少しばかり咎めるような視線を向けてくる。妻はその向こうで聞き流しながら洗い物をしている。

「ねえ。ぼく、遊園地に行きたい」

「遊園地か。よし、次の日曜日にお母さんと三人で行こう」

「やったぁ。約束だよ。寝坊しちゃだめだよ」

 本当に嬉しそうな笑顔だ。そこには何の含みもない。

 その笑顔を眺めながら、十年後、彼と一緒に朝焼けの中をバイクで疾走する様を思う時、私の顔はみっともないほど緩んでしまう。

 照れ隠しにコーヒーを啜ると、それは少しだけ甘い、けれども奥深い“家庭の味”がした。

 

     ーー昭和のある家族の朝の風景よりーー

 

 

昭和の忘れもの

「思い出の匂い」

ゾーリンゲンの珈琲ミル】 モノ・コト編④

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 ゾーリンゲンはドイツ西部の、言わずと知れた刃物で有名な工業都市である。

 中でも「ツヴィリング」や「ヘンケルス」は包丁やナイフ、ハサミのブランドとして世界的に知れ渡っているが、その他にも様々な生活雑貨(主にそれらの金属部品)を扱うメーカーが多数存在する。いわば、街の名前自体がブランドとして認知されているのだ。このハンドミルもそんな中の一品だ。

 「珈琲党? 紅茶党?」そんな質問をされることがままある。そんな時には明言を避け、「場面による」と意味深長を装うことにしている。

 珈琲党が優勢なのか、今では駅前や大型ショッピングビルの中など、至る所で美味しい珈琲を飲むことができる。だが、昔は珈琲専門店に足を運ばねばならなかった。あるいは、渋めのマスターのいる喫茶店へ。

 幸いなことに、小さな街中にも小粋な喫茶店が点在していて、たいていは馴染みの店があったものだ。それは未成年の身であっても平等で、自分たちの居場所として容認されていた。

 そこでは閉塞感に抗いながら見通せない将来について語ったり、初めての恋に一喜一憂したり、時に悪ぶって煙草の紫煙に巻かれたり・・・。と、一向に珈琲の話は出てこない。

 そう、リアル「昭和レトロの喫茶店」の思い出は、珈琲そのものの味や芳香ではない。店の佇まいや店主の人柄、友だちと時間を忘れて熱く語り合ったこと、若い心に刻まれたいくつかの出会いと別れ。それらが渾然一体となって醸し出す空気感ーーーそれが”匂い”となって記憶されているのだろう。

 大人になって少しだけ懐に余裕ができた頃、本格的な珈琲を淹れたいと器具を揃え、味を追求しようと試みた時期があった。だがそれは根本的に見当違いで、かつての懐かしい店や懐かしい時代を追体験したいという、無意識の願望の現れだったのかもしれない。

 現在、思い出深い店は悉く消えてしまい、ノスタルジーを呼び覚ます縁(よすが)として、この珈琲ミルが手元に残るのみだ。