syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

昭和の忘れもの

「路地裏の銃撃戦」

【セキデン 銀玉鉄砲】 モノ・コト編⑤

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 「銃撃戦」とは穏やかではないが、もちろんおもちゃの拳銃の話だ。

 銀玉鉄砲は小学生時代の、少年の必須アイテムだった。敵味方に分かれ、プラスチック製の銃からバネの力で発射する銀玉(弾)で撃ち合う。現在のサバイバルゲームの原型だ。拳銃本体も装備も格段の進化をしているが、本質は変わっていない。

(いきなり小学時代に歳月が遡って戸惑う向きもあるかもしれないが、当ブログは筆者の思いつくままに記しているので、時系列はランダムである。改めてお断りしておく)

 さて、話は少年に戻る。

 ゲームというからにはいくつかのルールがあった。ただし、銃撃戦の場所や人数によって随時変更された。弾数に制約があったり、奇襲攻撃の可否等々・・・他の遊びがそうであったように、けっこう民主的に皆の意見を擦り合わせてルールは決められたのだ。

 そうはいっても、銀玉鉄砲の射程距離はせいぜい10メートル。相手の表情が読める距離である。あの頃、少年はどんな気持ちで引き金を引いていたのだったか? 

 いや、おそらく何も考えてはいなかったのだろう。決めたルールに従い、相手に向けて夢中で弾を撃ち続けていただけだ。この姿勢はどんな遊びも一緒で、理屈抜きで楽しみに没頭していたはずだ。近年のサバイバルゲームに持ち込まれる頭脳戦、日頃のストレスの発散、挙げ句は狩猟本能の発現とかいった能書きは存在しなかった。

 疑いもなく刹那の享楽に身を投じることができた時間―――それを分析・解説することは無意味だろう。そんな時間が存在したことを、ただ認めればいいのだ。

 故に板塀の陰に身を潜め、時に原っぱや林の中を駆け巡りながら無心に銀玉を撃ちまくっていた少年の中に、「明日に向かって撃て!」などと洒落た台詞を口にする者は、もちろんいなかった。

 もっとも、映画の公開は数年後のことではあったが。