syouwanowasuremono’s blog

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【ファミリアプレスト・ロータリークーペ part2】クルマ編③

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 以前、一日のうち21時間を車中で過ごしたことがあると書いた。

 今回は、その顛末をショートストーリー仕立てで。

 

 その夏のある日、ロータリークーペは北へ向かってひた走っていた。

 猪苗代湖から十和田湖を巡ったのち、本州最北端の大間崎を経由し、海岸線に沿って南下して竜飛崎を目指す計画だった。

 出発してから三日目の昼過ぎにむつ市を抜け、北回りで大間に入った。国道を外れてしばらく走ると大間崎である。長い道程だった。ここまで給油と食事、そしてトイレ休憩以外は走りっぱなしだった。クルマを降りて身体を伸ばし、海を見やった。本州最北端の地に立っていると思うとさすがに感慨深い。

 しばし旅愁に浸っていたが、沖合に弁天島灯台が目に付くくらいで、長閑な漁村そのものだ。マグロの話題で湧く時期ならば違ったかもしれないが、話し相手もない一人旅では、本州最北端の地を訪れた事実だけで十分だった。スタンプラリーのような駆け足の達成感を言い訳に、次の目的地に向かうことにした。

 地図によれば奇勝・仏ヶ浦までは一時間ほどの距離だ。夏のこの時期、まだ日のあるうちに着けるだろう。いろいろと人の話を聞き、ここまで来たからには是非とも訪れてみたいと思っていたので、迷わず先を急いだ。

 だが、この判断が大きな誤りだった。旅情に流され、ガソリンの残量を見落としていた。かなり走ってから燃料計と距離計を照らし合わせると、あと30㎞ほどで底をつく計算だった。この時ほど燃費の悪さを呪ったことはない。感覚ではとうに目的地に着いているはずだったが、いつの間にか集落の影も消え、標識の類いさえ見かけない。不親切だとぼやきながら、あと少しと言い聞かせて先に進んだが、気付けば道路は未舗装となり、ついに日没になってしまった。

 辺りは鬱蒼とした林となり、闇が深まった。明日にしておけば良かったと思ったが、後の祭りだ。道幅はいつしか一車線分になって、路面は波打った穴だらけの林道と化していた。悪路のせいでスピードが出せず、所によっては歩きよりも遅い。距離がどうであれ、この調子では今日中に辿り着けそうになかった。思わず点灯したヘッドライトの明かりはいかにも頼りなかったが、その光輪の外は漆黒の闇だった。車窓の両側はもちろん、前方の上部にも一点の光もなかった。生い茂った枝葉のせいで、星の有無さえわからない。

 未知の土地でたった一人、しかも周囲には人家もない真の闇である―――これは孤独感とかではなく、正直、恐怖以外の何物でもなかった。無意識にカーステレオのスイッチを入れ、ボリュームを上げた。クルマという隔離された空間があることで辛うじて平常心を保てたが、生身でこの闇の中に放り出されたら―――そう考えると、恐ろしさが胸の中でさらに膨らんだ。

 対向車はもちろん、自車のヘッドライト以外の光は皆無で、真っ黒な画用紙に豆電球を翳しているような感覚だった。しかも、悪路のせいで上下左右に電球を振り回しているかのようで落ち着かない。不安に押し潰されそうになりながら走り続けると、緩やかなカーブの手前に僅かに幅員の広い場所が見えた。どうやら、すれ違いのための退避所らしい。

(引き返そう)

 そう決断してクルマを停め、車外に出た。室内灯の仄かな光で足元を照らす。手探りならぬ足探りで反対側の路肩を調べた。下草はあるが、50センチ程奥までは障害物もなく、平坦だ。その先は確認できないが、退避所と草地を含めた幅を使えば辛うじて方向転換ができそうだ。

 最徐行でクルマを動かし、数十センチ進んでは後退する。誤って脱輪でもしたら取り返しがつかない。必死にステアリングを回し、同じ操作を繰り返した。十回近く切り返しをして、ようやく方向転換をすることができた。

 夢中で、来た道を引き返した。まるで何かに追われているかのように。燃料計の針はほとんどゼロを指している。

(頼む。何とか人家のある場所まで走ってくれ)

 夏の熱気も手伝って、汗だくになりながらステアリングを握りしめていた。

 どのくらい走っただろうか。ようやく建物らしきシルエットが目に入った。さらに、左側の道端に古びた街灯が見え、その奥に平地の拡がりがぼんやりと浮かんだ。反射的にステアリングを切り、クルマを乗り入れた。全身から一気に力が抜け、大きく息を吐き出してからエンジンを切った。車内の時計は午後九時を回っていた。

 この時になってようやく、早い昼食以降、何も口にしていないことを思い出した。安堵感と同時に空腹感が襲ってきたが、長時間運転の緊張による疲労感がそれに勝っていた。思考が停止し、いつの間にか眠りに落ちていった。

 周囲の騒がしさに目が覚めた。無意識にシートを倒していたらしい。クルマの中だという感覚はあったが、状況はわからなかった。時計を見ると、七時少し前だった。顔を上げると、明るい光が目に飛び込んできた。同時に人の顔も。

「兄ちゃん、大丈夫か?」(土地の言葉だったので再現できないが、大意はこうだった)

 五、六人の男たちに囲まれていた。

 クルマを乗り入れた場所は、地元の漁師たちの「干し場」だった。幸い漁具も海藻類も拡げられていなかったので実害はなかったが、彼らにしてみれば迷惑な不法侵入者であることに変わりはない。にもかかわらず、世間知らずの若者を心配している風だった。寛大というより、それほど酷い風体だったに違いない。それも当然だ。昨日の昼から何も口にしておらず、疲れ切って十時間近く爆睡していたのだ。前日から通算すると、真夏の車内でほぼ一日過ごしたことになる。汗まみれで、風呂にも入らず。

 漁師たちに平謝りしながら、恥ずかしさと惨めさで、逃げるようにその場を離れた。

 動揺がようやく納まりかけた時、おそらくこの村唯一と思われるガソリンスタンドを見つけて飛び込んだ。

「満タンでお願いします」

 給油機のメーターの数字が際限なく上がっていくようでドキドキしたが、ようやく止まった。タンクの容量より0.5リットル少ないだけだった。引き返すタイミングがあと少し遅れていたら・・・そう思うとぞっとした。

 クルマは満タンになったが、ドライバーは腹ぺこだ。それでも、これでまた300㎞は走れると思うと気持ちは豊かになれた。

 エンジンをかけ、再び走り出した。潮風が心地良い。青空には申し訳ほどの白い雲がぽっかりと浮かび、凪いだ海面は朝日を反射して煌めいていた。それを眺めているだけで穏やかな気持ちになれる。日の光がこれほどの安寧をもたらすとは、昨日までは想像もできなかった。人の心はかくも移ろいやすく、不確実なものらしい。

 行き交う車もなく、信号機もない。時折車窓から見える家は静かに佇んでいるばかりである。それでいて確実に命の営み、息づかいというものが感じられた。そんな感慨に耽りながら走り続けていると、これまでの日常が少しずつ剥がれ落ちていくようだった。呼応するように不思議な爽快感、開放感が全身を浸していく。と、前方にトラクター、いや耕運機がのんびりと移動しているのが目に入った。当時はよく見かけた、後部に荷車を繋げた代物だ。本来農作業用に作られているので、速度は歩きと大差が無い。

 バーハンドルを握るのは麦わら帽のお爺さんで、荷台には老婆が後ろ向きにちょこんと座っていた。夫婦なのだろう。老婆の顔には深い皺が刻まれ、姉さん被りの手拭いがお揃いのように違和感がなかった。

 ゆっくりと横を通り抜けながら、それとなく二人の表情を窺った。二人とも皺の底に笑顔があった。一瞬、旅人である自分に向けられたのかと思ったがそうではなかった。老妻は夫に対する信頼と今の生活の充足感、老夫は妻に対する長年の感謝と、伴侶として選んだ自賛の表れだったのだろう。言葉を交わさなくても、背中合わせで耕運機に揺られながら、互いに確信しているのが伝わってきた。『二人でいられて幸せ』だと。

 勝手な想像だったが、そう思い込んだ途端に胸が熱くなり、素人劇団の公演タイトルのような台詞を口走っていた。

「本州最果ての地に愛を見た」

 赤面して辺りを窺ったが、幸い助手席を含めて誰もいなかった。ほっとしながらルームミラーを覗くと、耕運機と二人の姿はすでに小さな点になっていた。

 気を取り直してステアリングを握ったところで、ふと自問した。

(あれ? 引き返してる)

 ガソリン補給後、なぜか昨夜のリベンジという考えが浮かばなかった。ひょっとして、あの老夫婦を見せるための神様の計らい?―――そんなファンタジーも妄想したが、あの悪路を二度と走りたくないという防衛本能のせいだとする方が理に適っている。いずれにせよ、景勝地を見損なったという未練、後悔は微塵もなかった。

 それよりも肝心なことがある。今の自分にとって何よりも重要なことだった。それは・・・まずは胃袋を満たすこと。そして風呂だ。頭に浮かんだことを復誦して吹き出しそうになったが、辛うじて堪えた。

 そんな滑稽な自分を振り払い、ロータリークーペのアクセルを深く踏み込んだ。

 夏はまだ続いていたーーー。