syouwanowasuremono’s blog

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「天賦の才」

カワサキ 650-W1S(ダブワン)】バイク編⑧

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 何と言っても、キャブトンマフラーから放たれる重厚な排気音が圧巻だった。

 だが特段速くはないし、ギアチェンジとブレーキペダルは左右逆だし、デザインも古いしと、若いライダーが飛びつく要素はなかった。

 ところが、それは個人的な決めつけだったらしい。唐突に、仲間のNが中古のW1を手に入れたのだ。二週間前まで乗っていた、新車で買ったホンダの250ccを手放して。

 この頃、周りが競って大排気量車に乗り換え始めた時期だったが、それにしても本人のキャラクターとはギャップがあった。Nは根っからの軟派で、新し物好き。服から持ち物に至るまで、女子受けするお洒落な奴だった。そんなわけで“おじさん臭い”クラシカルなバイクは似つかわしくないと思えたのだ。

 Nの最大の欠点(?)は女の子に対して節操がないことだったが、そんな彼を誰も非難しなかった。なぜなら、ひとたびバイクに乗れば真っ当で仲間の和を乱すこともなく、模範的なライダーだったからだ。彼のバイク愛もまた本物だったのだ。

 さらに、W1に乗る姿を見慣れるにつれ、彼が渋い大人の男に成長したように感じられた。バイクマジックとでも言うべき錯覚かもしれないが、新たに連れ歩く女子も以前より大人びていて、いっそう羨ましく思ったものだ。

(なぜ、軽薄なあいつばかりがもてるんだ?)

 ちっぽけな人間と言われても仕方がないが、この頃の自分には羨望とか嫉妬という言葉が全身にまとわりついていた。当時の自分に代わって釈明すると、その夏の終わりに意中の女の子にバッサリと振られたばかりで、傷心の渦中だったのだ。

 Nに対する羨望を抱きながらも、自分は渋さを演出することも軽さに徹することもできない性分だとわかっていた。その意味では、彼の「才能」を認めざるを得なかった。

 天賦の才―――なるほど、奴は総べて見越していたに違いない。乗り換えたバイクも含めたセルフプロデュースの成果を。脱帽だった。

 自虐的ながら、こんな仲間のおかげで少しずつ成長できたのかもしれない。しかし、当時はそれを自覚することはできなかった。

 それどころか、17才の「ガキ」はただ溜息を漏らしていたのだ。自分には、南沙織の歌のような時間は訪れなかった、と。