「無言の抗議」
【スズキ AC90(改)】バイク編⑨
実はオリジナルには乗ったことがない。このエンジンを載せたカスタムバイクには乗ったことがあるのだが、その話は後に譲る。
今回はAC90(改)で市中を疾走していた人物の話だ。
と言いながら彼の名前はおろか、年齢さえ知らない。おそらく二、三歳年上ではないかと想像していたが、実際は何もわからない。ただ、彼の乗る改造車というのがとにかく目立った。確かに元はAC90らしかったが、そのフレームに「側車」を溶接していたのだ。
サイドカーといえばハーレーやBMWの大型バイクに取り付け、優雅にツーリングするリッチなオヤジのイメージだが、彼の場合は全くかけ離れたものだった。というのも、一般的に言うところの「リアカー」を「サイドカー」として使っていたからだ(ああ、ややこしい)。
リアカーをベースにDIYでサイドカー風に仕立てたというなら拍手ものだったが、引き手部分を切断して片輪を取り外しただけという、まんまの「荷車」仕様であった。
謎だらけの人物だったが、断片的な情報を総合すると父親が「廃品回収業」を営んでいて、彼はそれを手伝っているらしかった。皆が目にしていたのは廃品の回収前や荷下ろし後に空荷で走っている場面で、それは彼が真面目に働いている姿に他ならなかった。
バイクはもちろん傷だらけだし、着ているものは汗まみれで汚れ放題だった。仕事の性質上やむを得ないにも拘わらず、その外見に対して周囲は心ない言葉を投げていた。特に小学生たちは辛辣で侮蔑的な言葉、いわゆる差別用語を連呼して囃したてた。尤も、精神的幼稚さでいえば高校生の自分たちも同類だった。街中で度々顔を合わせているのに、意図的に無視していたのだ。関わり合いたくない、仲間と思われたくないと。
彼もまた、我々にすり寄ってくることはなかった。それはおそらく、当時の世間の目を自覚していたからなのだろう。あるいは「社会人」としての気骨だったか。
ところが、たった一度だけ驚かされたことがある。バイク仲間と走っていて、たまたま交差点で出会った際だ。彼は我々の鼻先で、空の側車をリフトしたまま右折するというアクロバティックなライディングを見せつけたのだ。
無言だったが、一瞬見せた挑むような視線が胸に刺さった。
(俺は、お前らみたいに遊びでバイクに乗ってるわけじゃないんだ)
あのパフォーマンスは、家庭の事情も知らず言葉を交わしたこともないのに漠然と嫌悪し、無意識に差別的な目で見ていた自分たちに対する憤懣の表れだったのだろう。
確かに、バイトで汗を流して稼いだ金でバイクを手に入れたとはいえ、それが他人を侮蔑してもいいという免罪符にはなり得ない。そんなことにも気付けなかった自分たちは本当に愚かだった。そのくせ、仲間意識だの友情だのと唱えていたのだから汗顔の至りだ。
現在彼がどうしているかはわからないが、どこかで出会うことがあったら当時の非礼を詫びたいと思う。
ただ、つい余計な質問をしてしまいそうで心配なのだ。
「その後、あのサイドカーはやはり廃品に?」
もちろん、彼に思い切り睨みつけられることは間違いない。