syouwanowasuremono’s blog

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昭和の忘れもの

「あの時の未来」

大阪万博 EXPO’70】モノ・コト編⑩

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 京都・奈良というのが地元近郊中学の修学旅行の定番だった。

 我が母校も慣習通りの予定だったが、急遽大阪が加えられた。ちょうど「EXPO‘70」の年に当たったおかげで大阪万博を見られる機会に恵まれたというわけだ。

 日本にとっては東京オリンピックに続く国家的一大イベントであり、国内は早くから祭り気分に浮き立っていた。神社仏閣には興味の湧かなかった少年たちも、異様な熱気に煽られながら修学旅行当日を迎えた。

 前日の京都の記憶はほとんど無く、ついにこの時が来たという感慨を胸に万博会場に足を踏み入れた。そこで仰ぎ見た「太陽の塔」の異形にまず度肝を抜かれた。

 友人グループで事前に“攻略目標”を決めてはいたのだが、人気のパビリオンは何処も長蛇の列だ。見回せば見知った顔ばかりで、お目当ては誰もが同じだった。   

 アメリカ館の目玉は月の石だったが、アポロ11号やアームストロング船長の予備知識がなければ、その辺の河原の石と見分けの付かない代物だった。

 地味な“石ころ”には失望したけれど、いくつかのパビリオンを巡って少年たちが思い描いたのは「鉄腕アトム」の世界であり、夢のような未来都市だった。直近では電話からはコードが消え、21世紀には空飛ぶ車が行き交い、各家庭では家政婦ロボットが家事をこなしている―――そんな、日本中が豊かな希望に満ちた国になっているはずだった・・・。

 あれから半世紀。確かに電話からはコードが消えた。移動しながら話せるようになり、しかも一人一台の時代となった。けれど、アトムは街にいない。辛うじて掃除ロボットが一部の家庭の床を動き回っているだけだ。

 空飛ぶ自動車を目にすることもない。そもそも、大多数の人々は俯いて小さな画面と睨めっこの生活をしている。空の青さに素直に感動することも忘れ、大気汚染や地球温暖化からも目を背ける始末だ。高齢化が急速に進んだにもかかわらず、社会は老人たちに優しいとはいえない。では若者にはどうかといえば、これまた答えは否定的である。

 あの時未来を夢見た少年たちが社会で頑張ってきたはずなのに、いったいどこで道を誤ったのだろう。あるいは、夢見たこと自体が愚かだったのか。

 溜息混じりに嘆いたところで、他力本願で流されてきた結果だと言われれば返す言葉がない。だが技術も知見も進歩した現在、再びの大阪万博の場では21世紀発の「人類の進歩と調和」が提起されることを望みたい。

 ところが感染症の影響もあって、「大阪万博2025」はAIを活用したプラットフォームとAR・MR(拡張現実・複合現実)技術が核になるだろうと言われている。テクノロジーに疎い人間にはわけがわからないが、要するに、もはや生の人間同士の交流や実体は重要ではないということらしい。

 そんな風評を耳にしてしまうと、新たな時代の少年たちに今度こそ実現性のある、真に豊かな社会の構築を願わずにはいられない。あの時思い描いた50年後は”空想”だったけれど、この先の未来は”希望”であってほしいと。またしても他力本願である。

 故に、「真っ先に実現してほしいものは?」という問いに対し、こんな答えが返ってきても沈黙するしかないのだ。

「そりゃあ、全自動で親の介護をしてくれるロボットさ」