syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

昭和の忘れもの

「叔父との約束」

ニッサン プリンスグロリア スーパー6] クルマ編④

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 かつて母方の叔父が乗っていた、当時の高級車だ。

 辛うじて人並みの暮らしだった我が家とは違って、叔父は手広く商売をしていて二、三年毎にクルマを買い替えるほど羽振りが良かった。

 その叔父に溺愛されていた従兄弟と小学生当時はよく遊んでいた。彼の家は広くて遊び場には困らなかったので、毎週のように入り浸った時期もあった。だが、本音は従兄弟と遊ぶことよりも、ガレージに収まったクルマを眺めたくて足を運んでいたのかもしれない。

 そんな心情を察したのか、叔父が納車されたばかりのグロリアで従兄弟と一緒にドライブに連れ出してくれたことがあった。いつも仕事で忙しくしていて、子供の相手などしてくれた事がなかったので意外だった。そんなわけで、真新しい高級車に初めて乗った興奮と、妙な空気感を同時に感じながら車窓を眺めていた。

 そのドライブの途中、ふいに叔父が優しげな顔で言った。

「○○(従兄弟の名前)と仲良くやっていってくれよ」

 従業員を叱責している厳しい経営者の顔しか見たことがなかったので驚いた。当の従兄弟も不思議そうな顔をしていたのが印象的だった・・・。

 叔父の訃報を聞いた時は信じられなかった。享年54才。動脈瘤剥離だった。30年以上前のことである。当時は人生70年と言われていた時代だが、それにしても若過ぎた。

 早い旅立ちを悔やむ裏には自身の後ろめたさもあった。というのは、従兄弟とは小学校卒業を境に遊ぶことはもちろん、家に行くこともほとんどなくなっていたからだ。

「仲良くやっていってくれよ」と言った、あの時の叔父の顔が忘れられなかった。遙か昔の話なのに、自分の中では叔父の遺言にも思えて、一方的にその約束を反故にしたような罪悪感が消せずにいたのだ。

 さすがに葬儀の当日は口にできなかったが、後日の法事の際にそれとなく従兄弟に伝えると、彼は場に不似合いな笑顔を見せて言ってくれた。

「オヤジがそんなことを? 記憶に無いなぁ。誰だって忙しくて、他人の心配どころじゃないだろ。お互いに今は仕事して、家族を大事にしていればそれで十分じゃないか」

 記憶の有無の真偽はともかく、長年のわだかまりが霧散したように思った。同時に、従兄弟がすっかり叔父の後継者らしい面構えになっていたことに頼もしさを覚えた。

 考えてみれば、叔父の話はこちらの勝手な思い込みでしかなく、しかも成人した大人同士がいつまでも“仲良く”なんて気色が悪いだけだ。親族との関わりに煩わしさは付きものだが、従兄弟の言葉に背中を押されるまでもなく、以前から生存確認程度のつながり・距離感で十分だと考えていた。叔父の呪縛が解けたことでそれは確信に変わった。  

 ただ、さらに年月が流れても慣習やら体裁やらで何とはなしに目を伏せてきた。しかし、現状なら時代の先取りだったと自賛し、背筋を伸ばして公言できそうだ。

「ソーシャルディスタンスでいきましょう(・・・今さらだけど)」