syouwanowasuremono’s blog

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戦争と平和

【C-5ギャラクシー(輸送機)とオリジナルのウインドブレーカー】モノ・コト編⑫

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 大仰なタイトルだが、もちろんロシア文学の長編大作について語るわけではない。翻訳すると、基地とファッショナブルな店が同居する街で思ったこと―――といったところか。

 適度な距離と、軍用機が見られるという興味本位で、仲間とともに度々横田基地のある街・福生を訪れていた。当時は滑走路が間近で見られることを売りにしたドライブインがあり、戦闘機や大型の輸送機の離発着の迫力に圧倒されたものだ。

 ベトナム戦争時、北爆に使用されていたB-52も飛来していたが、軍用機マニア(「撮り鉄」のような呼称があるかどうかは知らない)にとって作戦内容は問題ではなかった。お目当ての機体をカメラに収められさえすれば、それで満足だったのだ。

 自分たちも似たようなもので、能天気に異国の雰囲気漂う街並みに惹かれていた。外国=アメリカの時代だ。英語のネオンや看板はどれもお洒落で格好良く見えたのだ。たとえ何の店かわからなくても。

 Nを除けば、仲間のファッションセンスはどんぐりの背比べだったが、「この街で手に入れたものならカッコいい」という思い込みがあった。そのころはファストファッションという言葉もなく、Levi’sのGパン(デニム)が1本7、8000円の時代である。現在だと30000円前後の感覚で、購入には相当な覚悟が必要だった。

 ある時、たまたま見つけた「洋品店」で仲間のひとりが店主とバイク談義で盛り上がり、揃いのウインドブレーカーを作ろうという話の流れになった。

 セミオーダーで、希望のラインやポケットを付けられるという。さらに、6着まとまればディスカウントできるとも。その場にいなかった者を加えて仲間は6人。結局、商売上手な店主に乗せられて、あれよあれよという間に話がまとまってしまった。

 その時勢いで購入したのが、この赤いウインドブレーカーである。秋口には寒くてほとんど用を成さない代物だったが、仲間の絆という建前で身に着けていた。本音は、なけなしの小遣いを吐き出してしまってやむなくだったのだが。(確か、5000円前後だったと記憶している。高い!)

 フェンス一枚隔てた向こう側には戦車を積み込んだC-5ギャラクシーが駐機しているというのに、こちら側では見てくれや仲間意識のためにウインドブレーカー1着に“大金”を払っている―――こんな不合理な現実が目の前にあることなど考えたこともなかった。

 反戦運動のことは知っていても、自分には無関係だと思っていた。戦争の悲惨さに胸が痛むと言いつつ、基地の街を“遊び”で訪れていた矛盾と身勝手・・・。

 だが、ここでは「横田空域」も含めた基地問題について論じるつもりはない。それらはしかるべき場で、紙数を割いてまとめたいと考えている。

 代わりに、いくつか統計の数字を挙げる。

ベトナム戦争における米兵の死者数 約6万人

第二次世界大戦時の米軍戦死者数 約29万人

・2020年12月現在のアメリカ国内のCOVID-19による死者数 約33万人

 なんと、新型コロナ感染症の死者(アメリカ国内)が先の大戦の戦死者数を上回っているのだ。この数字をどう捉えたらいいのだろうか。

 いみじくも誰かが言ったように、これは人類とウイルスとの戦争である。強引にタイトルに寄せたようで心苦しいが、「戦争」と表することはあながち誤りではないだろう。銃弾や爆撃による流血はないものの、見えない脅威によって自身の、あるいは身近な人間の命が奪われるかもしれない―――そんな漠然とした恐怖を抱きつつ送る日々。

 それは同時に、対極の平和な日常というものを意識することに他ならない。思うに任せない状況の中で、自分が本当は何を大切に思っているのかを再発見する契機となったかもしれない。

 理屈は不要だ。半生を顧みて、ふっと思い浮かんだ人や事柄が自身にとって最も大切なものなのだ。それらがこれまでも、そしてこれからも支えてくれるに違いない。

 では、そういうあなたが思い浮かべた人物は?―――そう訊かれたら、それは言わぬが花。黙秘することが何よりも(家庭)平和のためである。