syouwanowasuremono’s blog

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「ご利益」

【ハクバ アルミケース(カメラバッグ)】モノ・コト編⑬

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 例のペンタックスMXが活躍の場を拡げた頃だ。各種レンズや周辺の機材が気になり始め、望遠レンズやらストロボやらを買い込むことになった。モノが増えれば必然的に“入れ物”が要る。カメラの場合はカメラバッグが。そこでまず思い浮かんだのが、このアルミ製のカメラバッグ(メーカーは“アルミケース”と称し、カメラと限定していない)だった。

 現在は機能性に優れた繊維素材が開発され、軽量で防水性能の高い製品が豊富に出回っているが、当時は堅牢性・防滴性を考慮するとこのバッグがベターな選択だった。本心は、いかにも“カメラマン”というイメージに流されていただけだが。

 ある年の正月、後輩の女の子に晴れ着の写真を撮って欲しいと頼まれた。誰が吹き込んだのか、趣味で写真をやっていると聞きつけたらしい。経緯はともかく、着物姿の女性を堂々と撮影できる数少ない機会だと思い、依頼を受けることにした。

 下心があったわけではない。アルバイトとして入ってきた彼女に先輩として仕事を教え、それから一年ほど一緒に働いていたというだけの関係だ。彼女にしてみれば、気心の知れた“兄貴分”程度の気持ちだったのではないか。

 詳しく話を聞くと、成人式のために親が買ってくれた振袖(当時は現在とは違い、レンタルに対して負のイメージがあったように思う)だが、その前に初詣で着たいのだという。確かに式の当日だけではもったいない。

 その日は快晴で風もなく、絶好の撮影日和だった。自分もいっぱしのカメラマン気取りで、レンズ類を詰め込んだアルミ製のバッグをクルマに積み込んだ。

 待ち合わせ場所は彼女の地元の名刹「K院」である。三が日の混雑は予想していたので二日ほどずらしたのだが、人出はさほど減ってはいなかった。晴れ着姿の愛娘に目を細める両親、着飾った若いカップル―――境内には見慣れた初詣の光景があった。

 そこに現れた彼女を見て驚いた。薄い紫地の振袖、白に銀糸と赤糸が織り込まれた帯。その艶やかな雰囲気に思わず息を呑んだ。自分はといえば、地味なフィールドコートにゴツいカメラバッグ―――明らかにひとりだけ周囲から浮いていた。

 いや、これは依頼された”仕事”なのだ。そう言い聞かせ、気恥ずかしさに赤面しつつ人の波を縫って参拝を済ませた後、レンズやフィルターを交換しながらフィルム三本分ほどの撮影を無事に終えた。

 そして帰り際、山門まで下ったところで、

「いけない。お御籤を引くのを忘れるとこだった。ちょっと待ってて」

 そう言い残して本堂へ向かう彼女を見送り、自分はカメラバッグに腰を下ろして一息入れていた。椅子代わりになるのもこいつの利点だ、などと己を慰めつつ。

 しばらく山門の下で待っていると、お御籤を手にした彼女が階段の上で声を上げた。

「見て見て。大吉!」

 と、次の瞬間、彼女の姿が視界から消えた。

「えっ?」

 驚いて足元を見ると、彼女が倒れ込んでいた。慣れない着物と履き物のせいで石段を踏み外したのだ。慌てて抱き起こそうとしたが、彼女は自力で立ち上がって歩き始めた。

(やれやれ・・・)

 だが、すぐに思い至った。若い女性が、多くの人々の目前で無様に転倒するという醜態を晒してしまったのだ。着物の裾や袖は土まみれの酷い有様だ。怪我の状況を確かめる余裕は無く、一秒でも早くその場から逃げ出したかったに違いない。

 途中から肩を貸して何とか駐車場に辿り着き、彼女をクルマに乗せた。着崩れを気にしている場合ではなかった。案の定、右の足首は捻挫していて腫れ上がり、出血こそなかったが膝と肘にも青痣ができていた。最悪の初詣だった・・・。

 新年早々縁起でもない―――と思われるかもしれないが、この話には後日談がある。

 彼女は通院を余儀なくされたのだが、ふた月ほど前から通っているカルチャースクールの聴講生の青年が、その送り迎えを買って出た。実は彼、以前から彼女のことが気になっていたのだが、話しかける機会も掴めず悶々としていたらしい。そんな折、彼女が松葉杖で登場したものだから、居ても立ってもいられなくなって声を掛けたというのだ。

 おかげと言うべきか一週間後には足首の腫れも引き、振袖も“洗い”が間に合って、成人式は無事に済ませることができたとのことだ。もちろん、プロによる記念撮影も。

 結果、その件がきっかけで交際に発展し、二年後、晴れて結婚の運びとなった。まさに怪我の功名だが、人生どこで何が幸いするかわからない。

 何より、名刹のご利益に偽りはなかった。