syouwanowasuremono’s blog

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昭和の忘れもの

「少年と翼」

【エンジン機(Uコン)】モノ・コト編⑮

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 正式名称は「コントロール・ライン」といい、現在も熱心な愛好家たちによって全国大会が毎年開催されている。一般的に流行っていたのは60年代から70年代にかけてで、地域の少年たちは「エンジン機」あるいは「Uコン」と呼んでいた。

 日曜日。小学校の校庭に年上のお兄さんたちがやって来る。それぞれが鮮やかにカラーリングされた模型飛行機とバッテリーや燃料、種々の工具や部品の詰まった箱を抱えていた。少年たちはこれから始まる「航空ショー」に期待を膨らませ、飛行準備の過程を固唾を呑んで見守っていた。

 混合燃料をタンクに満たし、プロペラを指で回してエンジン始動。小さなエンジンだが、消音装置はないのでけっこうな大音量だ。スロットルを調整し、ひとりが機体を保持する。操縦者は20メートル程先の中心点へ向かう。手にしたU字型のハンドルを操作し、昇降舵の動作確認が終われば準備OKだ。

 操縦者の合図で機体は大空へ・・・とはいっても、その名の通りライン(ワイヤー)で繋がれているので、機体は常に操縦者を中心に半径20メートルの空間を旋回し続ける。

 何だ、つまらない。と言い捨てるのは早計だ。一度だけ補助を付けてハンドルを握らせてもらったことがあるが、想像以上に強力なエンジンのパワーに身体を持っていかれそうだった。

 確かに初心者の操縦では単調で面白くない。しかし、上級者のそれは別次元である。宙返りはもちろん急上昇に急降下、8の字飛行や背面飛行と、とてもワイヤーで繋がれているとは思えないアクロバティックな技が次々と繰り出される。まさに自由自在で、見物人の目は、上空を舞う模型飛行機を飽くことなく追い続けるのだった・・・。

 だが、そんな光景も年々減っていくことになる。まずはUコンの危険性を指摘する声に学校側が応え、飛行禁止となった。続いて社会情勢の変化に伴い、いつの頃からか校庭に部外者が入ること自体が許されなくなり、休日には生徒さえ自由に利用できない学校が増えていった。安全第一という名目の下に公園や広場での遊びも次々と規制され、ボール遊びすらままならなくなった(都市部限定の話かもしれないが)。それは河原でも同様だった。

 飛行半径の限られたUコンに飽き足らず、ラジコン(因みにこれは登録商標である)に移った模型飛行機マニアもいたが、肝心の飛行エリアが規制されては意味が無かった。

 それでも、少年たちは大空への夢を忘れたわけではない。だが、現在のようなテクノロジーの発展を想像できただろうか。

 混合燃料の強烈な匂いやエンジンの爆音、ワイヤーを通じて腕や指先に伝わる機体の重さと振動、加えて操縦者を引き摺らんばかりの遠心力―――確かに模型に過ぎないけれど、機体と格闘しつつ一体となって空を飛んでいる、操縦しているという体感があった。それに対してモーターで軽々と飛行し、モニターで俯瞰しながらプロポ(コントローラー)で遠隔操縦するドローン(マルチコプター)は、同じ延長線上にあるものなのだろうか。

 当時の少年たちが抱いた直近の大空への憧れは、半径20メートルほどの空間に過ぎなかったかもしれない。ワイヤーに繋がれた、自由とは程遠い代物だったかもしれない。けれど、指一本では制御できない、全身を使って対峙しなければ負けてしまう「真剣勝負」の世界が存在したように思うのだ。これは比喩でもあり、ドローンに限らず新たなテクノロジーに対するアナログ人間の虚しい抵抗なのだろう。

 それでも、未練がましく呟いておく。

 機体さえ見えない遙か彼方へと飛翔できる無人航空機(ドローン全般)と、ワイヤーによって自身と繋がったエンジン機。果たしてどちらの翼が少年たちの望みだったのだろうか。