syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

昭和の忘れもの

「先進と回帰」

プログレッシブ・ロック】モノ・コト編⑯

キングクリムゾン ピンクフロイド ELP 他

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 自分には音楽的な素養は無い。だから、お気に入りの曲というのはまったくの独善で取捨選択してきたものだ。そうやってたまたま掬い取った音楽の中には、ギター一本のフォークソングから機材の総重量が10tに及ぶビッグバンドまでが含まれる。自分の感性に響くかどうか。文字通り「音」を「楽」しむ聴き手は、そんなスタンスでいいのだろう。

 尤も、そんな心境になれたのはそれなりの年齢になってからである。実際、トレンドとしてのプログレッシブ・ロックが台頭し始めた70年代初頭、個人的には音楽性よりもその先進性に傾倒し、何となく時代の先取りをしているような気分になっていた。

 周囲の大勢が熱狂していた某ロックバンドの曲に背を向け、少数派に属していることに価値があると思い込んでいた。愚かにも、『アンチ主流こそが正義である』という論理に毒されていたのだ。

 ところが、ピンクフロイドの『狂気』は全世界で5000万枚以上のセールスがあったという。配信全盛の現在では想像も及ばないが、物理的に途方もない数である。購入動機はともかく、それだけの人間が同じアルバムを手にしている現実は驚愕と同時に、“少数派”という前提を打ち砕いた。結果的に異端でも孤高でもなくなり、それまでの輝きが一瞬で消えたような喪失感に襲われた。

 だが、開き直って手持ちのプログレに属するレコードを片っ端から聴いているうちに、(音楽的な技術についてはわからないけれど)彼らの才能が発するエネルギー、作品の完成度の高さが自然に伝わってきたのだった。

 無用な理屈を取り払って向き合えば、素直に感性が判断を下してくれる。これこそが言語を超えた音楽の力なのだ。いや、芸術全般に共通する原理と言えるだろう。

 さも大発見のような感慨を覚えてからずいぶんと時は流れた。

 レコードキャビネットを漁り、洋楽ファンでなくても見聴きしたであろうメジャーなこの3枚のアルバムを引っ張り出してみた。懐かしさはあるが、なぜか映像が浮かばない。邦楽・洋楽を問わず、当時のヒット曲にはたいてい思い出という“連れ合い”がいるのだが、プログレには不思議とそうしたウエット感が薄い。

 もちろんこれは感覚的なもので、個人的な思い込みなのだろう。単に(英語力が無いので)歌詞が理解できない分、余計な過去の情景を排除しているだけのことかもしれない。ただ、それだと他の洋楽にまつわる思い出や情景が鮮明なことの説明がつかない。

 無理やり詭弁を弄せば、「既成の音楽の解体」「革新的な音楽の創造」というミュージシャンたちの気概が根底にあったということだろうか。

 残念なのは、技術屋でない彼らには未来の音楽シーンの激変を予想することができなかったことだ。構想や演奏機材は先進でも、作品(曲)の伝達手段は相も変わらずプレスされたレコードであり、その溝から針先で音を拾うというアナログだったのは皮肉である。

 その後、音楽メディアは急速に進化し続け、気がつけば「プレーヤー」と呼ぶ機器が消えつつある。これを進化と呼ぶべきなのか。いささか疑問だ。

 そこで原点回帰。レジェンドたちが創造した、当初の思いの込もったこれらのLPレコードを改めて聴くのも悪くないだろう。そこにはきっと、歌詞にはない魂の声が込められているに違いない。

 そんな盲信のせいで、当分はレコードプレーヤーを手放せそうもない。