syouwanowasuremono’s blog

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「自戒」

【ホンダ ダックスST50】バイク編⑰

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 一度バイクに乗ってしまうと、身体に染み込んだ感覚は簡単には消えない。その魅力からなかなか逃れられず、街中を走るバイクをつい目で追っていたりする。

 後味の悪い結末となった「ホワイトダックス」の一件でモヤモヤが続いていたある日、この上なく単純で愚かしい結論に膝を打った。

(そうだ、やり直せばいいんだ)

 どういう思考回路だったのか、再び「ホワイトダックス70」を購入して、納得いくまで乗り続けようと思ったのだ。だが、この案は一瞬でボツになった。なぜなら、すでに絶版となっていたからだ。あの時、H氏が譲って欲しいと懇願してきたのも当然だった。恥ずかしながら、そんなリサーチもできなかったとはバイク好きを名乗る資格はない。

 しかし、だからといってバイクを買おうと思い立ってしまった以上、もう後戻りができなかった。今日の昼飯はカレーだと決めてしまうと、口も頭もカレー一色になり、他の選択肢がなくなってしまう。それと同じだ(いやいや、同じじゃないだろ!)。

 要するに、また新しくバイクを手に入れるための理由が欲しかっただけなのだ。さりとて、何でもいいというわけにはいかない。経済性、スペース等、小市民には制約が付き物なのだ。

 そうして煩悶することひと月あまり。ようやく出した結論が「ダックスST50」だった。決め手となったのは、原付はまだノーヘルが認められていたからだ。ただし車体色に白はなかったので、やむなく4輪に合わせて黒になった。

 こうして手に入れたこのバイクは大事に扱い、季節の試練にも耐えた。だが、何かが違った。新しい服を買ったものの、どうにもしっくりこない。色もサイズも合っているはずなのに、違和感が拭えない―――あの感覚だ。それから自問自答を繰り返しているうちに、ようやく原因らしきものに思い至った。

 どうやら出発点を見失ったらしい。原点は『もう一度〈ホワイトダックス70〉を手に入れよう』という思いだったのに、いつのまにか『ダックスなら50“でも”いいや』に変節していた。原付と自動二輪という区別の問題ではなく、途中で“思い”が消えてしまったのだ。

 散々、仲間や友人とバイクについて多くを語ってきたはずなのに、愛車=相棒選びを疎かにするとは。ライダー失格だ。精神論などナンセンスと言われてしまいそうだが、己の命を預ける相棒選びは生半可な気持ちではいけない。少なくとも、これまではそう言い聞かせてきたはずだった。その鉄則を自ら蔑ろにしてしまったのだ。

 そう自覚すると、このバイクで走る事が楽しくなくなり、埃を被る日が増えていった。まるでデジャヴのような状況だった。ただし、今回は自己責任ゆえにすぐに手放すことはできなかった。やむなく、その後長きにわたり、黒いダックスは戒めの“オブジェ”として庭の片隅に安置されることになったのだ。

 この恥ずべき過去は、親しい友人にも今日(こんにち)まで語っていない。