syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

昭和の忘れもの

「地獄の海峡」

青函連絡船】モノ・コト編㉑

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 ある年の夏、友人のAと初めての北海道旅行を計画した。

 事前に作成した行程表は計画とは名ばかりの大雑把なもので、大まかなルートと最低限の観光スポットを書き出したメモ1枚だけ。しかも、宿泊の予約も一切無しだ。若さ故とは言え、今では考えられない無謀なものだった。

 青森まで運転を交代しながらクルマでひた走り、フェリーで北の大地を目指す。男二人の暑苦しい旅である。

 真夜中に自宅を出発してほぼ半日、ようやく青森港に着いた。2時間ほど前から雲行きが怪しくなり、時折小雨がぱらつき始めていた。そんな空を見上げて不安に思っていると、彼方から埠頭に近づいて来る船影が見えた。

「グッドタイミング。待ち時間なしだ」

 Aの言葉に頷き、大急ぎで乗船手続きに向かった。

 二人とも北海道に渡るフェリー即ち「青函連絡船」だという固定概念があったので、近接する埠頭に「東日本フェリー」という別会社が存在することなど知るよしもなかった。もちろん、両者に決定的な違いがあることも。

 どちらの船舶も津軽海峡を渡る事に変わりはないのだが、青函連絡船は“鉄道連絡船”で元々鉄道車両を積載するために造られた(鉄道マニアなら常識らしい)。大型のフェリーといえば船体の前部あるいは後部が開閉し、そこから車両(乗用車・トラック等)が乗り込むというイメージだが、この船の場合はその場所に列車(客車・貨車)を積み込むのだ。船内には線路が施設され、車両基地のように乗り入れるのである。

 では自動車はどうするかといえば、埠頭からスロープを上り、船体に架けられたタラップ(渡り板)を経由して甲板まで自走しなければならなかった。このタラップは狭く、海面からの高さは20メートル程ある。しかも巨大な船体とはいえ、僅かに波で揺れているのだ。運転を誤ったら・・・想像するだけで背筋が寒くなった。

 やっとの思いで上部の甲板に辿り着くと、そこには乗用車10台分ほどのスペースしかない。しかも露天である。あくまでも自動車の積載は“ついで”なのだ。

 出航後もしばらく想定外の連続に戸惑っていると、視界の先に別の埠頭とフェリーが現れた。こちらの船体より明らかに新しく、大きく見えた。

「えっ? 別のフェリーがあったんだ!」

 それでも気持ちを切替えて船室に収まると、二人ともようやく緊張から解放された。交代しながらとはいえ、ほぼ半日陸路を走り続けてきたのだ。さすがに全身が強ばっていた。身体を伸ばし、ゆっくり4時間の仮眠を取ろう―――そう考えた矢先だった。船体の揺れが大きくなった。雨量こそさほどではなかったが風が強まり、海面のうねりは確実に高くなっていた。北の海が本性を見せ始め、波しぶきが船窓を叩く。

 胸底に雲が湧き出していた。実は船にはめっぽう弱い。乗り物全般なのだが、特に船は苦手だった。ただ、今回はフェリーで海峡を越えるしかなく、大型船だからと自分に言い聞かせてきたのだ。選りに選ってこんな悪天候に当たるとは、つくづく運が悪い。

 次第に大きくなるピッチングとローリング。そして・・・乗り物酔いの経験の無い人間には理解も想像もできないだろうが、間断なく押し寄せる吐き気と戦う地獄のような時間が流れたのだった。

 後半の2時間はトイレから出られず、この苦しみから逃れられるなら有り金全部払ってもいいとさえ思うほどだった。

 精も根も尽き果てたころ、ようやく函館港接岸のアナウンスがあった。

 気分が悪くて朦朧としながら、例の渡り板を後にしてスロープを下った。この時は恐怖よりも1秒でも早く下船したいという気持ちが勝っていた。

 そして、ついに念願の北海道の地に降り立ったのだ。友人は遠慮がちに鼻歌交じりで口ずさんでいたが、本当は二人で声を張り上げたかったのだろう。

♬ は~るばる来たぜ 函館ぇ~

  さ~かまく(逆巻く) 波を乗りこえてぇ~

     (北島三郎 「函館の女」)

 演歌ならば青函連絡船の方が絵になる。その意味では、たまたまこちらに乗船したのは巡り合わせだったのかもしれない。

 ただしサブちゃんが唄ったのは、成長した男がかつての恋人を懸命に探すという切なくもドラマチックなものだったが、今ここに辿り着いたのは船酔いで顔面蒼白の、およそドラマとは無縁のひ弱な男だった・・・。

(To be continued)