syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

昭和の忘れもの

「後悔はインクの匂い」

【万年筆 プラチナ・パーカー・ペリカン】 モノ・コト編㉖

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 当時、高校の入学祝いは万年筆や腕時計というのが定番だった。自身も祖母や叔父からそれぞれ贈られた品を眺めながら、何となく大人になったような気がしたものだ。

 腕時計はともかく万年筆は授業で使うこともなかったので、しばらくは“記念品”として机の抽斗で眠っていた。しかし、使わないとペン先がダメになるというので日記を書き始めた。そこには、ペン字の練習にもなるかもしれないという安易な目論見もあった。

 ところが、生来の性急さが災いして走り書きの癖が抜けず、筆圧の高さも相まってたちまちペン先がダメになった。本末転倒というかお粗末な結果となり、悪筆はそのままとなった。

 その後、自身の悪筆に閉口してワープロに走ることになるのだが、その登場までは10年近く待たねばならなかった。その間には様々な理由で万年筆を買い替え、さらに買い足すという“黒歴史”が存在したのだ。

 写真はそれぞれ「プラチナ」「パーカー」「ペリカン」だが、他にも「パイロット」や「シェーファー」、さらに数本の無名のメーカー品も使った記憶がある。実のところ、有名メーカー品が書き易いとは限らない。弘法筆を選ばずとは言うが、書き手との相性というのはあるのだろう。あるいは紙との相性も。

 それを確かめるべくノート、原稿用紙、便箋、日記帳との悪戦苦闘を繰り返した。殊に古い日記のページを捲ると、年を追ってインクの色が変わったり文字の太さが変化していて、試行錯誤した歳月の流れを痛感する。文章はもちろんだが、時に心の動揺が文字の乱れや掠れとなって表れている箇所もある。原因は容易に知れた。日記を綴ったペンは、即ち同時進行で別の場面でも使われていたからだ。

 3本の万年筆にはそれぞれ“大切な人”への思い入れと、ささやかな物語があった。詳細は気恥ずかしくてとても語れないが、後悔と悲嘆と自己嫌悪―――それが結末だった。

 送ってしまった手紙はどうすることもできないが、それ以上に悩ましいのは、同じペンで書いた日記のインクの匂いが記憶を鮮烈に蘇らせることなのだ。これが現在のようにメールのやり取りの結果だったら、ひょっとして心の痛みは軽かったのだろうか。あるいは、消去してしまえば一瞬で忘れられるのだろうか。悪筆を言い訳にして自書を忌避し、無味乾燥なワープロに走ったのは、実は数々の辛い思い出を封印するためだったのかもしれない。

 後年は年賀状くらいしか万年筆の出番はなくなったが、最近ではそれも怪しい。実際、スペアインクのストックは切らしたままだ。果たして、残された万年筆に今後活躍の場はあるのだろうか。自身の指にはペン先と紙が擦れる感触、相手には文字の表情とインクの匂い―――離れていながらそんな濃密な対話のできる人物がこの先に現れるだろうか?

 可能性は限りなく低いが、胸底に細波が立つことは避けられそうにない。だとすれば、ここは万年筆の存在に目を瞑り、日記帳とともに机の抽斗の奥深くにそっと仕舞うのが賢明なのだろう。