syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

音楽をつかまえろ

〈昭和の忘れもの〉モノ・コト編㉚

【FMレコパル (FM情報誌)】

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 「エアチェック」という言葉を聞いて反応するのは、おそらく50代以降の世代だろう。それ以前の世代では文字通り空気を掴むようなものかもしれない。

 エアチェックとはテレビやラジオ放送を録画・録音することだが、殆ど後者を指すと言っていい。70年代から80年代に青春を送った世代にとっては深夜放送が受験勉強のお供(友?)であり、国内外の音楽の情報源だった。各ラジオ番組のパーソナリティーに送った自分のリクエスト葉書が読まれるかもれない、ランキングに好きなあの曲が入っていてほしい。そんな期待に胸をときめかせてラジオにかじりついていた日々―――。

 そうした状況の中で、首都圏では69年にNHK-FM、70年にFM東京が相次いで開局し、そのクリアな音質に多くの音楽ファンが狂喜したものだ。なぜなら、せっかくのお気に入りの曲もAM放送では音質に難があり、度々入るノイズで興醒めすることが多かったからだ。

 FM放送(超短波:遠くには届かないが、音質は良い)の開局によってリスナーの幅が拡がり、音楽番組の録音に情熱を燃やすファンが増えた。必然的にプログラム・プレイリストが知りたいという要望も増え、それを受ける形でFM情報誌が相次いで創刊された。(「FM fan(共同通信社)」「週刊FM音楽之友社)」「FMレコパル小学館)」「FM STATIONダイヤモンド社)」など。*発刊順)

 そうなると、今度はお目当ての曲をよりいい音で、かつ手軽に録りたいと思うのが人情だ。AV機器メーカーも開発を進めていて、TEACが1968年、国産初のカセットデッキを発売した(それまではオープンリールがHI-FIオーディオの一翼だった)。以後、各メーカーが続々と新製品を世に送り出し、FM誌にはそれらの広告、特集が溢れていた。そのおかげか販売は好調で、性能の向上とともに価格もお手頃になっていったのだ。

 一方で電波の特性上、居住地域によって受信状況が大きく左右されるという問題があった。単純に電波塔に近い方が有利で、距離が遠くなるほど不利になる。オーディオ機器は同一なのに、音質に差が出るという不合理。やむなく、首都圏各県の聴取者は屋根に巨大なFMアンテナを立てるのが常だった。その際電波塔の方角、高層建築の有無、隣家との位置関係などなど、感度を上げるべくアンテナの高さや方向を懸命に調整したものだ。

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 FMアンテナを立て、チューナー、アンプ、レコーダーと準備万端整えて、ようやくエアチェックに辿り着く。(写真は40年以上前の自室の機器。TX-6600Ⅱ、A-700、CT-3、CT-570〈いずれもパイオニア製〉。必須だったオーディオタイマーもある。カセットデッキのアナログメーターがいかにも昭和だ。懐かしい!)

 苦闘の末、望みの曲をまさに“ゲット”できた時の満足感は格別だった。そして仕上げ(あるいは儀式だった?)が、カセットテープのレーベル作りだ。オリジナルのテープ編集はFM放送に限らないが、多くのファンが熱心にレーベル作成に勤しんだものだ。今ならパソコンで自由自在にデザインできるだろうが、当時は個人のセンスに依存するところが大きかったように思う。絵心のない自分はレコパルの付録のイラストレーベル(Ⓒマルディロ)が気に入っていたので、大いに活用させてもらった。

 そうして録り溜めた懐かしいカセットテープは今も手元に残っている。当時そのために注いだ時間と情熱―――それは何物にも代えがたい。だが半世紀後の現在、いつどこでもスマホひとつで好きな楽曲を試聴、入手できるようになった。ラジオもアプリで聴くという変わりようである。

 FM情報誌に目を凝らしたアナログ時代を懐かしみながらも、BS・CS・UHFアンテナに加えFMアンテナを増設するスペースはないという現実を言い訳に、新しいテクノロジーを受け入れてしまっている。新しい時代に順応すること、それは悪ではない。ただ、問題の本質は半世紀の時間を遡る余裕と情熱、そしてロマンティシズムを失くしてしまったことだ。 

 実は、それを認めることが何より辛いのだ。

 

*前述4誌は2001年時点でいずれも休刊。2016年、FM誌は総べて消滅した。