syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

ワンダーランドから見た月

〈昭和の忘れもの〉クルマ編⑯

【スズキ スズライトキャリイ】

 “世紀の天体ショー”という惹句に流されて夜空を仰いでいた。

 一生に一度の奇跡―――そんなふうに巷は煽っていたが、自身はそうした感慨よりもなぜか初めてクルマのハンドルを握ったときのことを思い出した。

 小学1年か2年だったと思う。「スズライトキャリイ」という、スズキが1961年に発売した空冷2サイクル2気筒(360㏄)の軽トラックだった。パワーがあって積載性も良く、商店などでは重宝されていた。

 もちろん実際に走行したわけではない。大人を真似てハンドルを回し、ギヤのチェンジレバーを動かしたりスイッチ類に触れるだけで、本物のクルマを運転している妄想に浸ることができたのだ。少年あるある(昭和限定?)というやつだ。

 月半ば過ぎの夜、決まって父親の古い知人のUさんが我が家にやって来た。父と酒を酌み交わすのが楽しみだったらしい。後になってわかったのだが、給料日前で懐が寂しくても心置きなく酒が飲めるというのが本音だったようだ。だが、酒好きでお人好しの父は一緒に飲める相手の来訪をいつも歓迎していた。やれやれ、呑兵衛はこれだから・・・。

 酒宴が始まると子供は邪魔者扱いされ、その場から追い出される羽目になる。我が家には台所の他は2間しかなく、酒宴の部屋から退散するにしても隣の部屋との境は襖一枚しかない安普請だった。最大の問題は、酒飲みの常で宴が進むにつれて話し声が大きくなることだ。しかも笑い声はさらに大きい。それが耳について寝ることもできない。

 そんな子供を気の毒に思ったのか、あるいは“只酒”の後ろめたさからか、ある晩Uさんがプレゼントのおもちゃを渡すようにクルマのキーをこの手に載せてくれた。

「運転席に乗ってもいいぞ」

 因みにUさんの職場は牛乳販売店で、『Y乳業』のロゴの入った軽トラ(それが「スズライトキャリイ」だった)でやって来る。それを知っていた少年の顔には、(クルマに触りたい!)という物欲しそうな表情が浮かんでいたのだろう。それがどうした。大人たちの酒盛りを気にしながら布団を被っているのは真っ平だった。

 喜び勇んで玄関から駆け出し、裏の路地に停めてある軽トラのドアを開けた。念願の運転席に座ってハンドルを握ると、それだけで大きな夢が叶ったように感じたものだ。我が家にはクルマがなかったが、“自家用車”を持っている家でも、たいていの父親は我が子といえども安易にクルマに触らせなかった。まだまだそれほどの贅沢品だったのだ。

 ハンドルを握って空想の世界をドライブしていると、時間が経つのも忘れた。

 路地の片側は生け垣で、その向こうの小さな家はシルエットになり、磨りガラスの嵌まった窓に明かりが黄色く灯っていた。その奥から大人たちの笑い声が漏れてくる。フロントガラスの遙か彼方を見上げると、秋の終わりの夜空に満月が浮かんでいた。

 その月の白さは鉄板剥き出しの車内の寒さを増幅させたが、輝く未来が待っていると告げている気もした。万人を照らす昼間の太陽とは違って、この自分だけのために光っているように思えたのだ。

    少年にとって軽トラのささやかな空間は、夏休みに原っぱの外れに作った秘密基地と同様、無邪気な希望が旗印のワンダーランドそのものだった。しかし、酒宴の喧噪と月夜の静寂を隔てていたのは窓ガラス一枚に過ぎない。この皮肉と悲哀に気付くには何十年もの時間が必要だった。

    大人になって社会の現実と月面に人類が足跡を残したことも知った自分は、もう無垢な心で月を愛でることはできそうにない。まして、夥しい数のスマホが一斉に夜空に向けられる光景を目にした後ではなおさらだ。

 だからこそ、冷え冷えとした軽トラの運転席から見上げたあの清雅な満月の記憶は、今でも忘れられないのだ。