〈昭和の忘れもの〉クルマ編㉚
【トヨタ カローラ1100(初代)】

FIFAワールドカップ2026は、スペインの優勝で幕を閉じた。レギュレーション変更や運営面で多くの問題を抱えながらも、世界中のサッカーファンは熱狂の一ヶ月を過ごした。
今では専らテレビ画面越しの観客の一人に過ぎないが、中学時代は部活でサッカーをやっていた。母校は学業、部活いずれも可もなく不可もないという平凡を絵に描いたような公立校で、サッカー部も例に漏れず、地区大会では勝ち上がるものの、県大会では1回戦敗退を繰り返すレベルだった。
そのチームの中でも自分はサブのメンバーで、たいてい前後半どちらかの交代要員だった。ただし現在でいうところの「ジョーカー」などではなく、同じポジションで実力もほとんど変わらないA君と交互にスタメンに入るのがルーティンだったのだ。戦術というほどの意味もなく、公平に出場機会を与えるという、監督兼コーチであるB先生の温情のようなものだ。
2年生の時も何とか地区予選を勝ち抜いたが、チーム内には「どうせ県大会では勝てないさ」と、早々に弱音を吐く者がいた。だが、そんなチームメイトを責めることはできなかった。自分は別の理由で気が重かったからだ。
大会の競技場へは電車とバスを乗り継いで1時間半ほどかかるのだが、恥ずかしながら乗り物に弱く、特にバスは苦手で30分と乗っていられなかった。1年の時は応援要員に過ぎなかったのでチームに影響はなかったが、今回はそうはいかない。限定的とはいえ出場機会が与えられている。後輩の前で無様な姿は見せたくない。乗り物酔いで試合に出られないなんて、あまりにカッコ悪い。
当日。思い悩んでいると、監督に呼ばれた。
「〇〇、俺は車に備品を積んで一足早く出る。お前も一緒に来て手伝え」
駐車場までついていくと、白いカローラ1100が停まっていた。高まり始めた日本のモータリゼーションを牽引すべく、トヨタが社を挙げて開発したファミリー向け大衆車だ。他社に先んじてプラス100㏄のエンジンを搭載して話題となった、現在のカローラシリーズの出発点となった名車といえるだろう。
早速、予備のボールや給水タンク、救急箱等を後部座席とトランクに積み込み、自分は助手席に収まった。相変わらずバスはダメだったが、最近ようやく乗用車、それも助手席なら何とかドライブにも耐えられようになっていた。もちろんそんなことを監督に話しはしなかったが、1年前の“惨状”を覚えていて気遣ってくれたのだろう。普段は厳しい指導で有名だったが、生徒思い(?)の一面もあったのだ。
無事に会場に到着して荷物を降ろし終わった頃、チームメイトが合流した。ユニフォームに着替えてウォームアップを済ませると、ほどなく自分たちの試合開始の時間になった。例によってA君が先発で、自分は緊張しつつ戦況を眺めていた。
無欲が功を奏したのか我がチームは善戦し、前半を1-1で終えた。後半はいよいよ自分の出番だ。やるべきことは決まっている。パスを出し、スペースに走ってパスを受け、ボールをフォワードに繋ぐ。相手のボールをカットして何としても味方に渡す・・・特別な武器を持たない自分にできることは、それらを愚直に繰り返すことだった。
残り時間5分。奇跡のような場面が訪れた。味方に送ったボールが相手ディフェンスに当たり、そのこぼれ球が自分の目の前に転がってきたのだ。ゴールまで20mほどだった。味方の姿が視界の隅に入ったが、シュートコースが空いていたのでノートラップで右足を振り抜いた。しかし突然の好機に力んでしまい、ジャストミートしなかった。ボールは弱々しく弧を描いてゴールキーパーの正面に飛び、がっちりキャッチされた。
(ミスった)
その一瞬を突かれた。キーパーが蹴ったロングボールは前線のミッドフィルダーにつながり、巧みなドリブルでゴールエリアまで運ばれた。味方ディフェンスがタックルに行ったが寸前にラストパスを通され、逆サイドに走り込んできたフォワードにゴールを決められた。勝負ありだった。
気持ちを切り替える間もなく無情のホイッスルが鳴り、結局1-2で敗れた。接戦だっただけに、チームメイトの落胆ぶりは痛々しいほどだった。誰も口にはしないが、全員の目が自分に向けられているように感じた。
『〇〇がシュートを決めていれば・・・』
『あのミスキックが無ければ・・・』
功を焦ってシュートを選択したのは間違いだったのか。味方フォワードにパスすべきだったのだろうか。後悔は尽きない。仲間の顔をまともに見ることができず、備品を片付けて逃げるように車に運び込んだ。
帰りの車内では俯いたまま何も言えなかった。B先生も無言だった。叱責も慰めも意味が無いと知っていたのだろう。どちらにしても、自分にとっては人生最悪の日となった。
失敗は誰にでもある。しかし他人には理解できない、本人にとっては一生消せない負い目というものも存在する。それがちっぽけな意地の裏返しだとしても、そう自覚することが贖いだと思っていたのかもしれない。
こうした経緯で、プレーヤーとしてのサッカーとの関わりは中学時代で終えた。だからといってサッカーそのものに対する気持ちが冷めたわけではない。観戦側に回っても、一流選手のプレーの凄さに感嘆できる程度の熱は残っていた。一方で側杖を食ったのが、部活・B先生つながりの「カローラ」だ。初代のみならず、3代目くらいまでは街中で見かけるたびに落ち着かない気分になった。クルマには何の罪もない。後年マイカーの候補に「カローラ」の名前が挙がることがなかったのも、自己嫌悪に打ちのめされたあの日の記憶に重なるからに他ならない。
全く理不尽な話である。何ができるわけではないが、せめてトヨタの関係者の方々に謝罪しようと思う。
「ごめんなさい」











