〈昭和の忘れもの〉クルマ番外編
【ドアミラー黎明期の後付けミラー】


現在では当たり前のドアミラーだが、日産「パルサー・エクサ」(1983)が登場するまで、国産車のサイドミラーはフロントフェンダー上にあった。
普通免許が取得できる年齢になり、一部の外国車に装着されていたドアミラーを間近で目にした時、無条件にかっこいいと思ったものだ。同じ思いを抱いた若いカーマニアの声を聞きつけたのか、マニアックなカーショップでは汎用ドアミラー(後付けミラー)が売られていた。大人のユーザーは見向きもしなかったが、金はないけれど何とか自分好みにカスタムしたいと願っていたクルマ好きの間では一時期流行った。
この初期のミラーは、ドアフレームを”コの字”型の金具で挟んでボルト止めするという単純な作りで、旧車にありがちだった四角い断面のドア枠にのみ取付け可能な代物だった。しかも見栄えやボディーとの干渉など考慮されておらず、ウェザーストリップの性能頼みで、雨の日には隙間から雨水が車内に侵入することも珍しくなかった。
それでも誰も文句を言わず、自己責任と割り切っていた。なぜなら、当時はまだドアミラーそのものが認可されていなかったからだ。すなわち、フェンダーミラーを取外してドアミラーを装着した時点で整備不良車両として取り締まりの対象とされたのだ。
それでも誘惑に勝てず、粗悪な後付けドアミラーに換装する人間は少なからずいたのだ(かく言う自分もその一人だった)。クルマ(ウェザーストリップ&ボディー)へのダメージや整備不良の反則金は総べて自己責任であり、その対価は『俺の愛車は他人とは違うんだぜ』という自己満足だけだったにもかかわらず。
2台目となった愛車は1.4Lの大衆車とはいえ、新車だった。この時点でもまだドアミラーは認可されておらず、相変わらずフェンダーには2本の“角”が生えていた。前車でドアミラーの見易さを体験してしまったので、この逆行は耐えられなかった。
しかし、ドア枠の断面形状が複雑化していたので前車からのミラー移設は適わなかった。そこでショップを巡り、“BMW御用達”との触れ込みのミラーを見つけた。鏡面にブルーの防眩加工が施され、見栄えも気に入ったので高額だったが購入を決めた。だが、価格以上に大きな問題があった。このミラーはドアに専用のアンカー(金属製のブロック)を固定してそこにミラー本体を被せるという構造で、ドアパネルにアンカーをビス止めする必要があるという。
新車購入から僅か1週間。車体のどこにも掠り傷一つないのに、ドアの外板にドリルで穴をあけるというのだ。確かに装着後の見栄えは美しく、後付け感はほとんどない。とはいえ、さすがに悩んだ。前車に取付けた汎用ミラーは、金具のボルトを緩めれば取外しが可能だった。ドア枠に多少の痕跡が残っても、何とか修復可能な範囲といえた。しかし、ドアパネルに穴をあけるとなると大事(おおごと)だ。人間でいえば、擦り傷と刺し傷くらいの差だ。傷痕は比較にならない。
それでも、決断した。
「取付けお願いします」
ただし、ドライバー側だけだった。多分に懐具合の問題もあったが、実は前車でも助手席側は換装を断念した経緯があった。その汎用ミラーは左右どちらのドアにも流用できたので、試しに助手席側に取付けて走ってみて良くわかった。フェンダーミラーは僅かな視線移動で左右を確認できるが、ドアミラーはそうはいかない。ドライバー側はミラーが近づくので視認性が高まるが、助手席側はある程度首を振らないと確認できない。この時、僅か0.5~1秒とはいえ前方から視線を外すことになり、その恐怖感はかなりのものだった。
この件がトラウマとなり、慣れの問題だと言い聞かせてはみたものの、ひとまず今はやめておこう。と相成った。見た目に拘ってミラーの換装を決めたのに、左右非対称で中途半端という無様な結果を受け入れてしまった。これは竜頭蛇尾とでもいうのだろうか。
新車のボディーにドリルで穴をあけるという“蛮行”を許した精神状態、決断力はどこから来たのだろう。美学の変遷の要因は何だったのか―――そんな問いかけに行き着く文脈になってしまったが、誤りに気付いた。
後悔や反省を綴りたかったのではないのだ。片側だけだったけれど、ドアミラーに換装した直後のファーストインプレッションの鮮烈、思わず漏らした一言。純粋にそれだけを記したかったのだ。
「後方視界良好!」














