〈昭和の忘れもの〉モノ・コト編㊿
【情報誌 『ホットドッグプレス』(講談社)&
『ポパイ』(マガジンハウス)】

先ごろ、編集者・評論家でテレビでも活躍されていた山田五郎氏が亡くなった(享年67)。
昭和の後半に青春時代を送った世代として、教科書的に愛読していた男性向け情報誌の『ホットドッグプレス』と『ポパイ』をいずれ取り上げようと考えていたのだが、かつて『ホットドッグプレス』の編集長を務めた山田氏の逝去を受けて、前倒しを決めた。
雑誌の話題が続いてしまうのは不本意だが、氏への追悼の意を込めて懐かしいあの頃を振り返ってみた。スマホのない時代、若者たちの情報源は専ら雑誌だった。中でも彼らの欲求を的確に捉えていたのが前出の2誌だろう。初心で無知な少年・青年たちをどれだけ救い、自信を与えてくれたことだろう(大げさか!?)。バブル期を経て、インターネットが普及するまで世界が、いや東京でさえ現在とは格段に“遠かった”ころ、地方の若者を中心とした世代の情報格差を埋めてくれたのはこうした情報誌だった。
いち早く男性向けファッション雑誌・情報誌を謳い、おしゃれや遊びを含めたサブカルチャーを積極的に発信し、若い男性層の圧倒的な支持を得た『ポパイ』。それに追随し、ともすれば“デート雑誌”と揶揄されながらさらにポップな誌面を展開した『ホットドッグプレス』。いずれも男子にとってはバイブルとも呼ぶ存在だった。
~以降は話の流れから『ホットドッグプレス』(以下HP誌)にフォーカスする~
カタログ文化とも称された一時期、グッズ紹介やデートマニュアルは彼ら(自身も含めて)にとって心強い情報武装であり、生活必需品ともいえるものだった。その誌面作りには気鋭の面々が惜しみなく才能を発揮し、後のタレントも輩出している。
*ナンシー関(消しゴムハンコ)、中尊寺ゆつこ(漫画家・エッセイスト)、つんく(音楽家・プロデューサー)等々。
しかしながら、時代とともに雑誌の力(情報の発信速度?)が相対的に低下し、『HP誌』は一旦休刊を挟んで復刊したものの、2004年の12月号を以て再休刊となった。当初は雑誌の栄枯盛衰を静観し、己の若さゆえ、いや若さだけを頼みに突き進んだ時代と重ね合わせて語るつもりだった。だが山田氏のその後の活躍を知るだけに、雑誌の表紙の向こうにその風貌が浮かんでしまい、想定していた着地点が怪しくなりそうだ。
山田氏のテレビ番組における活躍は、他のコメンテーターや評論家と横並びではなく、その博学に裏付けされた即妙かつ平明な語り口の魅力によるものだった。それと考え併せると、『HP誌』の表面的な“軽さ”や“親近感”は氏の人柄によるものだったのではと思えてくる。ここで言う軽さとは軽薄という意味ではなく、“心の自由度を妨げない配慮”とでも言ったらいいだろうか。あるいは理屈抜きで、面白くて誰もが明るく元気になれる雑誌―――ひたすらそれだけを目指していたのかもしれないが。要は『世の中には面白いモノ・コト・人が溢れている。だから、人生を楽しもうよ』という、明快なメッセージだったのだろう。
たまたま放送メディアによって編集者の為人を知ることになったが、読者にとって重要なのは雑誌の内容であって制作者の人柄ではない。そもそも、本来“黒子”であるべき作り手の人物像によって雑誌の評価を変えるというのは筋違いだし、1冊の雑誌・本を作るためには多くの人材と膨大なエネルギーが必要だということも理解している。
実際、ざっと目次を追っただけでもオーディオや音楽シーン、ファッションからインテリア、さらにはクッキングのすすめときて、海外の流行りモノまで。情報過多の現在の状況とは比べようもないが、「情報誌」の看板に偽りなしと言って差し支えないだろう。それゆえ、当時は読者にも相応の気合が必要だったのだ。
そんな具合に双方に感心しつつも、山田氏の軽妙な語りをもう聞くことができない寂しさが胸を過ることも事実なのだ。しかし、ご安心あれ。氏への哀悼は本意だが、編集者をはじめ多くの精鋭たちが心血を注いだ雑誌の功績はもちろん、記事を実践しては結果に一喜一憂した日々を忘れることはないだろう。
今まさに40年前の雑誌のページを捲りながら、つい目を細める人間がいることがその証である。









