syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

昭和の忘れもの

「験担ぎ」

【サングラス 各種】バイク番外編

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 これといった取り柄はないが、視力だけは良かった。過去形なのは、今や老眼鏡無しでは新聞の活字も追えなくなったからだ。悲しむべきことだが、老化は目から始まる。

 それはさておき、老眼鏡ではなくサングラスの話である。

(写真は手元に残っているものの一部だが、この中で昭和の品は2点のみ。多くは破損、あるいは紛失してしまった)

 バイクに夢中だった高校時代。これまで何度か語ったようにノーヘルが当たり前で、ヘルメットを被るライダーは腰抜けか未熟者、そんな烙印さえ押されかねない時代だった。仲間がロングツーリングで渋々ヘルメットを着けるのは、管轄の警察によって口うるさく指導されるのが面倒だったからに過ぎない。

 そんな実情とは裏腹に、仲間内でツーリング中に事故を起こした者はいない。とはいえ、日常的にひやりとする場面は多い。雨の日のマンホール、真冬の日陰のアイスバーン、交差点の小石等々・・・危険はあらゆる場所に潜んでいる。

 だからライダーは路面状況には敏感だ。しかし、案外盲点なのが夏場の小虫である。僅か1ミリ程の羽虫でも、走行中に目に飛び込んできたらパニックになる。一瞬で視力を失い、痛みで何もかも放り出したくなる。ノーヘル、シールド無しの最大の危険物は実は虫なのだ。

 自身も一度ならず事故りそうになったことがある。中でも、例の“運転代行”期間中に起きたアクシデントは最大の恐怖体験だった。

 いつも慎重な運転を心がけている“代行”に対してストレスが溜まっていたのだろう。Fが無謀な提案をしてきた。

「今日はこいつ(XS650)の最高速にチャレンジだ。たまにはエンジン全開にしないと!」

(二人乗りで? 人の気も知らずに無茶を言うなよ!)

 内心では思ったが、半ば反発心から、持ち主のゴーサインに従って心のリミッターを外してやれという気になった。

 場所は私鉄と並行して走る直線道路。見通しが利き、通行量の多い広い道路と交差するまで信号もない。絶好のシチュエーションだった。

 クルマの流れが切れたタイミングでスタートした。2速までは鈍かったが3速でようやくスピードに乗り、目一杯引っ張って4速に入れた瞬間だった。風圧による涙でほとんど片目しか見えていない状態だったが、その右目に激痛が走り、視界が真っ暗になった。異物のせいなのか、反射的に目を瞑ったせいなのかもわからなかった。意識では何とか目を開けようと必死だったが、どうやっても視力は戻らなかった。

 恐怖で頭の中が真っ白になったが、手足は勝手に反応していた。手首を返してスロットルを閉じ、右手の3本の指はフロントブレーキレバーにじわじわと力を加えつつ、右足はリアブレーキペダルを小刻みに踏み込んでいた。速度計では120㎞をオーバーしていたはずで、一気にフルブレーキングしたらマシンが何処へ吹っ飛んでいくかわからないからだ。

 とっさの危機を回避するには経験が物を言う。直前の記憶では脇道にクルマの姿はなく、広い道路との交差点までは100メートル近くあるはずだった。その脳裏の映像を頼りに、ほとんど視界ゼロの状態で何とか無事にマシンを停止させることができた。

 異物の正体は小さな黒い虫だった。Fには目隠し状態だったことは告げなかったが、その翌日から自己(事故?)防衛のためにサングラスを掛けるようになった。さすがにレイバンの『アビエーター』というわけにはいかず、“レイバン風”の安物だったが。

 以来、2輪4輪を問わず、運転する際にはサングラスが手放せなくなった。これは決してファッションとか粋がりとかではなく、験担ぎの”お守り”のようなものだ。

 指摘されるまでもなくこうした行為は一種の自己暗示であり、小心者の自分は眼鏡(サングラス)の、心理学で言うところの「ペルソナ効果(仮面効果)」を利用していたのかもしれない。だが人は誰しも些細な拘りを持ち、無意識のうちに験担ぎを繰り返しているに違いないのだ。

 例えば玄関を出る時、あなたは《第一歩は右足から》と決めていたりしないだろうか?