syouwanowasuremono’s blog

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【スキーブーム】モノ・コト編㉘

板:OLIN  ビンディング:SALOMON

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 原田知世の主演映画『私をスキーに連れてって』がヒットしたのは、1987年のことである。この年を挟んだ5年ほどがスキーブームのピークだったように思う。

 スキーを始めたのは80年代初頭からで、同世代の中では出遅れ組だった。実は長きに亘ってアンチスキー派であった。真冬に好き好んで寒い場所へ出掛ける連中の気が知れなかったし、一部の若者の軽薄さが悪目立ちしていたことも一因だった。

 そんなわけで、それまで再三友人に誘われても断り続けていた。それが一転した理由は単純で、当時気になっていた女性がスキーを始めたと耳にしたからだった(おいおい、それは軽薄ではないのか?)。それはともあれ、スキー初心者には何をどうしていいかもわからない。そこでまずは“形”から入ることにして、思い切って一式を揃えてしまおうと決めた。スキー(板)はもちろんだが、ウエアが高額だったので躊躇はあったが腹を括った。相応の金額を投資した以上は後には引けない。背水の陣というわけだ。

 初めてゲレンデに立った時はさすがに緊張した。それでも運動神経は悪くないという自負があったし、長年バイクに乗っているのでスピードには恐怖心もなかった。しかし、雪上は勝手が違った。何より長い板が思うように扱えないのがもどかしい。初心者のパターン通り、最初の2時間はゲレンデに立っているよりも転倒して雪と格闘している時間のほうが長かった。イライラと疲労、さらに寒気で身体がいうことをきかない。そもそも倒れ方がわからないので、自分の板やストックに容赦なく身体を痛めつけられた。その代償としてボーゲンで初級者コースを辛うじて降りられるレベルにはなったが、ウエアを脱ぐとあちこちが痣だらけで、かつて経験したことのない筋肉痛が全身に拡がっていた。

 そんな涙ぐましい奮闘の末、ようやく彼女と念願のスキー行が実現した。といっても4人のグループだったが、とにもかくにも彼女“たち”と終日過ごせたのだから良しとした。ただ、お世辞にもスマートな滑りとはいかず、冷ややかな視線を浴びたことで少なからず傷ついた。以来、挽回を期してシーズン毎にゲレンデに通うことになった。

 動機は不純だったが、新たな繋がりが生まれて世界が拡がったのも事実である。一方、シーズン毎に発表される新製品に手を出したり、トランスポーターとしてのクルマのためにチェーンや冬用タイヤを揃えたり・・・いつのまにか本末転倒し、分不相応な出費が嵩んだ。

 そしてある年、潮が引くようにスキー熱が冷めた自分に気付いた。そこには経済的な負担という側面もあったが、スポーツとしてスキーを極める覚悟もなかったからだろう。加えて、ブランドやトレンドを追うことに疲れ、現地までのアクセス時間が改善されないことも許容できなくなっていた。結局、自身の怠惰な性格が一足早くブームに背を向けさせたのだ。

「ところで、その後彼女とは?」

 そう、それこそが肝心なことだった。正直に打ち明ければ、冒頭の『私をスキーに連れてって』公開年のクリスマスの夜はユーミンのアルバム『SURF&SNOW』を独りで聴いていた記憶がある。推して知るべしだ。

 尤も、聡明な読者ならタイトルを見た時点で結末を察してくれたに違いない。それが総べてであり、今となっては語るべきことは何もない。