syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

きみは”フィーバー”したか?

〈昭和の忘れもの〉モノ・コト編㉛

【ディスコブーム(第2次)】

アラベスク』『ジンギスカン』『サンタ・エスメラルダ』、これらの名前だけでピンとくる同世代の人間も少なくないだろう。さらに『サタデー・ナイト・フィーバー』と聞けばほぼ全員の頭に『ビージーズ』の曲が流れ、身体が疼くに違いない。

日本における黎明期のディスコというのは、芸能人や所謂VIPと称するごく一部の人間の特別な空間だった。それが第2次ブームと呼ばれる70年代後半になるといきなり間口が拡がり、若者が週末毎に通うほどの社会的なブームとなった。かく言う自分も、新宿歌舞伎町辺りで“オール”を経験したことがあるくらいだ。流行りモノには懐疑的で、そもそも繁華街の喧噪が苦手なこの天邪鬼でさえ足を運んだのだから、往時のディスコブームの過熱ぶりは異常だったと言える。

前後してディスコナンバーが量産されていたが、人気の定番曲はどの店でも繰り返し流された。また、特定の曲のステップ・振りが決まっているという店も存在した。当該曲がかかると、ミラーウォールに向かってフロアの全員が一斉に同じステップを踏む―――その光景は圧巻でもあり、異様でもあった。けれど、当時はその連帯感のようなものが彼らを陶酔させたのだろう。

そして前出の『サタデー・ナイト・フィーバー』(Ⓒパラマウント映画)のヒットによってブームは最高潮に達した。尤も、ディスコ映画として語られるこの作品だが、主題は違っていたという。それはともかく映画公開後、“フィーバー”はその年の流行語になり熱中すること、盛り上がることは総べてこの一言で括られた。(本来は医学用語で発熱を指すが、巷では誰も負のイメージを抱く者はいなかった)

しかしその後、度重なる規制によってブームは急速に下火となった。やがて80年代のユーロビートの台頭、88年六本木〈トゥーリア〉の照明落下事故、90年代にはバブルの崩壊を経てディスコから「クラブ」へ変容した。と、この間の詳しいレポは音楽、あるいは風俗の専門ライターに譲る。

あくまで自分史の中のディスコの記憶、思い出というのは第2次ブームと呼ばれた70年代末期の僅かな期間に限定される。それはまさに“熱に浮かされた”ような、不思議な時間だった。

それでも、いやだからこそ、ふとした拍子に懐かしいダンスナンバーが脳裏を過ぎると、矢も楯もたまらず古いレコードや初期のCDコレクション(配信に頼らないところが肝なのだ)を漁る破目になる。

今聴き直すと、逸る気持ちの反動もあってか、リズムもビートも思いの外ゆったりである。それはあの時代の速度感そのものと言えるかもしれない。制作サイドも流行を踏まえ、“万人向け”の領域を模索していたのだろう。あの『ビージーズ』でさえ路線変更(?)を余儀なくされたほど、潮流は強大だったのだ。

感慨に耽りつつ耳を傾けること暫し。挙句は周囲に人目のないことを確認してから、昔を思い返して華麗なステップを・・・と意気込んだものの、膝腰の痛みに加え、五十肩(六十肩?)が悲鳴を上げて即ギブアップと相成った。かくも老生とは残酷である。

それでも、憧れのクイーンとチークタイムの余韻に浸ることくらいはできるかもしれない。もちろん夢想・妄想の中で。