syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

草叢の亡霊

〈昭和の忘れもの〉クルマ編㉒

【スズキ マイティボーイ】

 時折通る川沿いの草叢(くさむら)に、「マイティボーイ」が放置(不法投棄?)されていた。1983年にスズキから発売された、軽の“ピックアップトラック”である。

 2代目「セルボ」のBピラー後方を切り取り、居住性に積載性を加えた異色のモデルだった。荷台はミニマムで中途半端の感は拭えなかったが、安価で遊び心を刺激された若者たちに「スズキのマー坊」の愛称で親しまれた。だが愛称の気安さとは裏腹な、このクルマにまつわる胸苦しい話を思い出してしまった。

*以下は、関係者の話を元にしたフィクションである

 その春、河崎聡子の部署に須々木君という青年が新入社員として配属されてきた。高校を卒業したばかりの初々しい、健康的で明るい性格の持ち主だった。物怖じしない積極性は仕事と向き合う姿勢として好ましく思え、周囲は期待を膨らませていた。

 ところが3ヶ月ほどすると、先輩や上司から不評の声が聞こえ始めた。不慣れな仕事に失敗は付きものだが、頑なに自分の過ちを認めようとしないというのだ。その不遜な態度は、いくら社会人1年生とはいえ独りよがりの自己主張としか映らなかった。

 それでも周囲の人間は辛抱強く見守り続け、丁寧な指導を心掛けていた。だが、須々木は己の正当性を主張するばかりで、たとえ相手が得意先でも自我を押し通す癖は抜けなかった。それは年が改まっても変わらず、さすがに同僚や上司も匙を投げかけていた。

 そんな折、会社の有志で週末スキーに行く話が持ち上がった。遊びやスポーツには一家言ある須々木はその場の空気を読むこともなく、自分も参加したいと申し出た。同僚たちは一様に不満顔だったが、仕事以外の交流を通して少しでも彼の態度が変化してくれればと考え、不承不承同意した。参加者は河崎聡子と同期の本多明子と山羽、1年先輩の戸与田、そして須々木に係長の末田を加えた計6名の予定だ。

 利便性を考えてクルマ2台で現地に向かうことになっていた。ところが前日になって、クルマを出すはずだった戸与田が体調不良で不参加となってしまった。スキー指導員の資格を持っていて、立場上も監督責任者ということになっていた末田は頭を抱えたが、思いがけず須々木が手を挙げた。

「じゃあ、俺がクルマ出しますよ」

 全員が新人の助け船に笑顔を見せた。そして胸の中で呟いていた。

(なんだ、協調性もあるじゃないか)

 そして当日。待ち合わせ場所に乗り付けた「マイティボーイ」を見て4人は驚いた。これまで見たこともない、小さくてユニークなスタイルだったからだ。結局、須々木のクルマには誰も同乗しなかった。目の前の奇抜な軽自動車に全員が拒否反応を示したからだ。尤も、当人は気にすることもなく、むしろ一人で気ままに運転できることを喜んだ。

 聡子が運転するクルマは4人乗車ということになったので、スキー道具は須々木のクルマに積むことにした。こんな時、“ピックアップトラック”の荷台は(天候に恵まれれば)最大の利便性を発揮する。

 とにもかくにも、2台のクルマは無事に上越の某スキー場の駐車場に辿り着いた。気温は低かったが、快晴で絶好のスキー日和だった。

 各自スキーウエアに着替え、ひとまずリフトで最初のゲレンデに向かった。初級者コースで末田が一通り滑走を確認し、各自の技量に合ったゲレンデを提案した。その際、須々木は「中級レベル」とされたのだが、これに納得がいかなかった彼は末田の忠告を無視し、上級者コースへのリフトに乗って行ってしまった。

 末田が慌てて追いかけ、上級者コースのスタート地点で重ねて忠告した。

「君のスキーは自己流で、このコースは危険だ。しばらく中級コースで練習した方がいい」

「大丈夫っす。これくらいの斜面は楽勝なんで」

 彼はそう言い残すと、末田の制止も聞かず滑り始めてしまった。そのコースは斜度はもちろん、狭くて要所にコブがあり、上級者でも気を抜けない難コースだった。コブをクリアした後にきっちりスキーをコントロールできないと、コース外に飛ばされてしまいかねない。

 そんな難コースにも拘わらず、須々木はほぼ直滑降で斜面を下っていったのだ。いや、それは滑るというよりほとんど“落下”だった。それを見た末田は背筋が凍った。あの滑走スピードでは、指導員資格を持つ自分でもコントロールできるかどうか。ともあれ、彼は須々木の後を追ってコースを滑り始めた。もちろんきっちりとターンを熟しながら。

 そして、コースの中程を過ぎた地点で、彼は恐ろしい光景を目にしたのだった。コース脇の吹きだまりの向こうにリフトの鉄柱が聳えていたが、その手前まで真っ直ぐにシュプールが延び、終着点に赤いペンキを撒き散らしたような雪山があり・・・その中に見覚えのあるスキーウエアが埋もれていたのだった。

 須々木は直滑降のスピードのまま、スキーをコントロールできずにリフトの支柱に激突したのだ。即死だった。

 ゲレンデパトロールや警察の事情聴取が終えた時には、辺りはすっかり闇に包まれていた。同行者の誰もが、ショックと疲労感で言葉を発する気力も無くしていた。しかし、この先にも地獄が待っていることに気付く者はなかった。誰が悪いわけでもないのに自責の念に苛まれ、今後はスキーを楽しむどころか、雪を見る度に一面を染めた真っ赤な血しぶきを思い出すだろうということに。

 新人の彼に虚栄心を捨てて末田の忠告を聞く謙虚さがあれば、それ以前に、日常的に先輩たちの指摘に耳を傾ける素直さがあれば、悲劇は起こらなかったかもしれない。

「自業自得じゃないか」

 故人に対してあまりに非情だが、社員の中にはそんな声もあったという。実際、この“事故”によって会社も謂われのない責めを受け、多くの人たちが迷惑を被った。責任者だった末田は別の部署に異動となり、聡子は暫くして会社を去った。

 以来、社員たちは誰一人「須々木」の名を口にすることはなかった。まるで最初から存在しなかったかのように。謙虚さを学ばなかった付けを、彼は19年という短い人生を終わらせることで払う結果となったのだ。

 当然ながらこんな話はしたくなかった。しかし、草叢に蹲る特異な車体はまるで亡霊のようで、思い出してくれと哀願されている気がしたのだ。やむなくこんな形で振り返ることになってしまったが、寝覚めが悪いことは否定できない。

 そもそもの諸悪の根源は不法投棄である。こう力説すると、さも公共心を振りかざしているように思われるかもしれないが、恥ずかしながら私的な忌避でしかない。切に願うのはただ一点。

「誰か、早急に“亡霊”を祓ってくれ!」