〈昭和の忘れもの〉クルマ編⑳
【トヨタ スプリンター1200SL】
トヨタの「カローラ」は最多販売車種としてギネスにも認定されたロングセラーカーで、「スプリンター」は同車から派生した姉妹(兄弟?)車である。
販売期間が長いこともあり、初代カローラ発売の1966年以降、スプリンターを含めて5台ほどと関わりがあった。今回はそれらを代表して、幼馴染が乗っていた2代目のスプリンター1200SLを取り上げることにした。
小・中と同じ学校に通っていたオカノ君(仮名)とは小学時代は野球、中学では共にサッカー部で汗を流した。高校は別だったが、その頃はバイクが共通項だった。その彼の名前がこれまでバイク編になぜ登場しなかったかというと、モリタ君(CB350・バイク編⑪)と車種が被っていたからだ。オカノ君なら他にも話題に事欠かないので、いずれ別の機会にと先送りにしてきた次第。
ところが、いざエピソードを開陳しようとして手が止まった。確かに話題は豊富なのだが、諸々差し障りがありそうだと気付いたのだ。法的にはともかく、関係者の体面とか名誉の問題である。したがって、以下に記すのは文字に起こして差し支えない範囲の話である。
このスプリンターSLの所有者は彼の父親だったが、たまの休日にチョイ乗りする程度だったので、実質的にはオカノ君の“愛車”といえた。父親の条件はガソリンを満タンにして戻すこと、それだけだった。
彼は最初こそ傷つけないようにと気を遣っていたが、日毎に大胆になり、いつの間にか勝手に改造するようになった。クーペスタイルとはいえ、ザ・ファミリーカーのスプリンターは血気盛んな若者には物足りなかったのだろう。手始めにシートカバーを替え、次はフェンダーミラー、そしてマフラー、タイヤとサスペンションとエスカレートしていった。
彼に付き合って何度か同乗し、泊まりがけで旅行したこともあったが、はっきり言って乗り心地は最悪だった。車高を下げているせいで、道路沿いの店の駐車場に乗り入れるたびに車体の下部がガリガリと派手な音をたてる有様だったのだ。
クルマに求めるものがすれ違っていたこともあったが、諸事情で次第に彼とは疎遠になった。ただ、お互いの家は100メートル程の距離なので、それとなく近況は伝わってきた。
聞いたところでは、彼は毎週末の夜中にドライブに出掛けているとか。その「ドライブ」がどういう類いのものかは想像に難くないが、すでに社会人になっていた彼の中にいったい何が起きていたのだろうか。あるいは社会人故のフラストレーションの発露だったのか。
そしてある日。極限まで車高を下げた、いわゆる“シャコタン”スプリンターは、郊外のとある工事中の道路の段差に乗り上げ、フロントフェンダーとエンジンのオイルパンを破損した。〈段差あり徐行〉の表示板があったにもかかわらず、けっこうな速度で走り抜けようとしたらしい。幸い、ドライバー本人は全くの無傷だったようだ。
点検の結果、エンジン以外にもフロント部分(主に足回り)の広範囲にダメージが確認され、スプリンターSLは廃車せざるを得なくなった・・・とか。
そんな風の便りも忘れかけた頃、突然オカノ君から電話があった。
「クラウンを買ったんだ。近々ドライブに行かないか?」
さすがにクラウン(“いつかはクラウン”でお馴染みのトヨタの高級車)を改造するとは思えなかったが、スプリンターの件でモヤモヤが晴れず、しばし返事を躊躇った。
はて、自分は何に対して憤っているのだろう? 最悪の乗り心地だったクルマに対してか? 愛車に無謀な改造を加えた彼自身に対してか? だが彼が“愛車”に手を加え、誰と何処を走ろうがそれは彼の自由だ。自分とクルマとの関わり方や嗜好が違うからといって、彼自身を非難することは筋違いだろう。
自分に正直で、好きなことに突き進む―――彼の遊び心は錆び付いていない。いささか子供っぽくて、もちろん純真な少年の心などと美化するつもりは毛頭無いが、未だに奔放な感性を持ち続けている彼を羨んでいたのかもしれない。
「付き合うよ。廃車になる前に」
思いもかけずそう答えていた。
直前に“幼馴染”という言葉が過ぎった気がした。洟垂れ小僧同士が大人への反抗心や無分別な行動を共有した時間は、相互信頼という記憶として深く刻まれていたのだろう。理屈抜きで、それまでの些細な疑念や不満は瞬時に霧散してしまった。
(ま、いっか)
さしずめ、「幼馴染」は魔法の言葉なのかもしれない。