〈昭和の忘れもの〉モノ・コト編㊱
【レスカ(レモンスカッシュ)】
無性にレモンスカッシュが飲みたくなった。
コンビニへ行けばその類いの商品が並んでいるが、ふと浮かんだのはかつて喫茶店で飲んだ、あのビジュアルと味だった。悲しいかな、近隣に提供している店はない。
仕方なく、有り物(レモン・炭酸水・ハチミツ)で何とか作ってみようと奮闘したものの、当然ながら“あの味”は再現できなかった。見た目もお粗末としか言いようがない。
初めてレモンスカッシュに出会ったのは中学生になってからだ。大人に連れられて行ったレストランだった。ソーダ水の甘さに慣らされていた少年には、レモンの酸味と炭酸の刺激が新鮮で、初めてコーラを飲んだときの感覚を思い出した。
高校生になって喫茶店に出入りするようになると、夏の初めにはけっこうな頻度で注文していたのだが、いつの間にか仲間と一緒にアイスコーヒーを飲んでいる自分がいた。炭酸の刺激がいかにも夏らしいというだけで、レモンスカッシュに特別な思い入れはなかったのだ。その時までは。
夏の日盛りから逃れ、喫茶店でいつものように仲間と他愛のない話をしていると、大学生らしいカップルがやって来て、隣のテーブルに着くなり男がオーダーを告げた。
「レスカふたつ」
そのふたりが美男美女だったせいなのか、「レスカ」の響きが妙に格好良くて、特別な飲み物のように思えたのだった。以来、いつか自分も同じようにオーダーしてみたいと憧れていた。
しかし、気恥ずかしさもあって友人・仲間の前では実行できないまま季節は廻った。
そうして、ようやく“その時”がやってきた。隣のクラスで気になっていた女子を、やっとのことで“お茶”に誘うことができたのだ。
席に着き、さりげなく彼女の注文を確認する。そっと息を吐き、緊張しつつその時を待った。ウエイトレスの女性が近づいてくる。呪文のように頭の中で唱える。
(レスカ、レスカ、レスカ・・・)
「ご注文は?」
「オレンジフロートとレスカをください」(言えた!)
途端にどっと疲れに襲われた。
飲み物が届いた。お互いに黙ったままストローで液体を吸う。
この時、自分が大きな過ちを犯していることに気付いていなかった。「レスカ」の3文字に神経を集中しすぎたせいで、頭の中は真っ白だった。何を話せば良いのかもわからない。無事注文できた=ミッション終了という気分になっていたのだ。肝心なのはこの先、お互いを知り合うことだったのに。
結果は散々なものだった。会話は続かず、通夜のような重苦しさだけが残った。カルピスは初恋の味―――そんなCMがあったが、自分にとってレモンスカッシュは失恋の味となったのだ。いや、実際には始まってもいなかったけれど。
そんな経緯で、レモンの皮の苦みそのもののような想い出を封印すべく、その後長きに亘ってレモンスカッシュを口にすることはなかった。
年月が流れ、行きつけだった喫茶店が次々と姿を消していくのを目の当たりにして、一抹の懸念を抱いた。「レスカ」はもはや“絶滅危惧種”として、その言葉と共にメニューからも消えてしまうのだろうかと。
ところがいろいろ調べてみると、都市部の長年営業している喫茶店では「レモンスカッシュ」がしっかりメニューに残っていた。中には敢えて「レスカ」と表記している店もあるという。そこに“昭和レトロ”とやらが影響しているかは知らないが、安堵と同時に肩透かしを食った気分になった。
夏が来るたびに、実はあの時のレモンの酸味と炭酸の刺激、そして戒めのようなほろ苦さを思い出していた。つまらない感傷や意地はもう捨てる潮時だろう。己の行動範囲の狭さ故に要らぬ危機感を抱いたことを反省しつつ、この夏こそは、ふらりと降りた駅前の年季の入った喫茶店を訪れ、誰憚ることなく高らかに注文しよう。
「レスカを!」