syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

巨匠と”だるま”

〈昭和の忘れもの〉モノ・コト編㊳

開髙健とサントリーウイスキー・オールド

 開髙健は言わずと知れた文学界の巨匠である。ベトナム戦争時に特派員として従軍した体験を元にした『輝ける闇』『夏の闇』は、不朽の名作として名高い。(『花終る闇(未完)』を加えて「闇三部作」と呼ばれている)

 だが開髙の名前が広く知られるようになったのは、後年の釣りにまつわる紀行文の人気によるものが大きかったのではないか。純文学としての開髙作品は重厚で、テーマの奥深さが一部の読者には難解に映ることもあった。ともすれば、読む前に身構えてしまうような威圧感にも似た印象を持ってしまいがちである。

 しかし、釣行記は一転して溌剌とした昂揚感と冒険心に溢れ、読者を川や湖、そして海へと誘ってくれる。開髙の釣りへの情熱・探求心はもちろん、食や酒にまつわる機知に富んだ話は読者を飽きさせない。

*断るまでもないが、釣りに限らず洒脱なエッセイ集も多数出版されている。

 

 酒と言えば、周知のように開髙は「サントリーの前身である「壽屋」の宣伝部に籍を置き、後にいうコピーライターのような仕事をしていた。

 今やJapanese Whiskeyは世界的な評価を受け、驚くべき高値で取引されている銘柄も存在する。そんな現在の熱狂以前、70年代から80年代にかけて空前のウイスキーブームがあった。その牽引役が「トリス」「ホワイト」「レッド」「オールド」といったサントリー勢だった。中でも“だるま”の愛称で親しまれた「オールド」は、大衆からすればちょっぴり高級で、普段飲みできるようになることがサラリーマンの憧れだったりした。

 それが経済成長の波に乗って日常的に飲まれるようになり、やがて世界に進出するまでになったのだ。実際、80年代には単一ブランド(ウイスキー)で、年間販売数の世界記録を樹立した。当時、自室の飾り棚にもインテリア然と“だるま”のボトルが鎮座していたくらいだから、さもありなんと納得したものだ。

 オールドの人気には凄まじいものがあったが、秀逸なテレビCMの力も大きかった。起用された俳優らの知名度もあるが、「音楽」「コピー」「物語性」―――それらの総合芸術とも言える映像はCMの域を超え、短編映画の如き秀作が数多く創られた。気鋭のCMクリエーターたちによって、メディア広告が変革期を迎えていた時代でもあったのだ。

 言葉でウイスキー文化をもり立てていた開髙は、後に出演する側にもなった。並の文豪なら出演依頼を一蹴しただろうが、メディア畑出身である開髙は抵抗感を持たなかった。結果的にその風貌、言霊、食と酒との融合・・・それらによって「オールド」の”風格”といったイメージを醸成し、ひいては企業の、そしてウイスキー全般の地位を確立するに至った。

 その後、経済情勢や大衆の嗜好の変化によってウイスキーブームは一時下火になったが、時代を築いたイメージ戦略の手法は今でも業界の礎となっている。

 こうしてウイスキーの話をしながら、自身は殆ど下戸である。酒の味を語ることもできない。それでいながら巨匠の著書のページを開くと、わかるはずもない酒の味や各地の逸品料理の匂いが行間から立ち上ってきて、思わず喉が鳴ってしまうのだ。

 きな臭い世界情勢の中で「闇三部作」を読むことはあまりに気が重い。そこでせめて釣行記を初めとする軽妙な作品を手に、釣り上げた魚の感触や絶品料理の味を想像することで、束の間の平和気分を味わうことを許してもらいたい。

 そんな夢想のせいか、酒に弱いくせにグラスを傾けたくなった。当然、中身は琥珀色のウイスキーである。ロックか水割りか、はたまた・・・。

 小説だけでなく、広告・メディアの行き方も示唆していた慧眼の文士には畏敬しかないが、敢えて無礼を承知で胸の内で呟いてみる。

(巨匠、今宵はお付き合いください)

献杯!」

元号が改まった1989年の12月、昭和の終焉を見届けた巨匠は58歳で旅立った。