syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

昭和の忘れもの

「袋の中身」

DIATONEダイヤトーン)DS-28B】モノ・コト編㉓

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 現在は一部の業務用とカーナビの一機種として辛うじてその名を残しているが、一般的なオーディオスピーカーとしての「DIATONE」ブランドが消滅して久しい。

 DS-28Bは普及機であり、名機として現在も人気のあるヤマハNS-1000Mと比較するとルックスでも見劣りがする(そもそもクラスが違うけれど)。とはいえ、天下の三菱電機である。主要部品のコスパの高さは群を抜いていて、総合体としての出来は悪くない。音の仕立ても凡庸だが真面目である。

 だからこそ40年以上も付き合っているのだが、手放さずに長年愛用している理由には、このスピーカーを購入する際のエピソードも関係している。

 自身を散々「天邪鬼」とか「変わり者」とか評していたが、それでも人並みに就職することができた。小市民としては当然ながら日々の生活のために仕事をしていたわけだが、当時の給与はまだ現金支給(手渡し)で、毎月誘惑を振り払って帰宅するのは結構な試練だった。まして、勤務地が都心だったのでなおさらだ。

 そうして迎えた人生初のボーナス支給日。もちろんたいした額ではなかったが、社会人1年生の身には“不相応な”金額だった。そのせいで現金という実体とは裏腹に、どこか現実感が薄かった。その非現実感が高じて、ある思いつきを決行することにした。

 それは以前読んだ某小説に倣って、支給されたボーナス(作中では給与)を帰宅するまでに遣い切ってしまおうというものだった。作中で主人公の男はパチンコやスロットマシーンで時間を潰し、バーやスナックをはしごして淡々と酒を飲み、店の女性たちと掴み所のない会話を繰り返す。それでいて、そこには特別な関係を求める意図もないのだ。そうして給料を遣い切ってしまうのだが、男は何も語らず、後悔といった感情も表さない。だから、読者は消化不良のまま言葉を見つけられない。何とも罪な作品である。

 そのくせ、なぜか真似したいと思ってしまった。自分は酒が飲めないので小説と同じとはいかないが、“帰宅前に給料を(無計画に)遣い切るという行為”を実践してみたかったのだ。

 結局、DS-28BとLPレコード、ロスマンズをワンカートン、そしてささやかな夕食代でボーナスは消えた。スピーカーという大物を購入するのはルール違反のような気もしたが、頭に浮かんでしまったものは仕方がない。とにもかくにも『ボーナス袋の中身を家に帰る前に遣い切る』―――という命題はクリアした。銀行振り込みが常識となった現在では発想さえしない、愚行だったとしか言いようがないが。

 以来40年。スピーカーセットの追加はしたものの、こいつ(DS-28B)は今も現役だ。とはいえ疾うにエージングを通り過ぎ、年寄りの肌と同様に(音に)張りが無くなったことは否定しない。だが、聴き手の耳の方も経年劣化しているのでお互い様だ。

 これだけ付き合いが長いと、もはや単に音を出す機器ではなくなった。一人きりの部屋ではにやけた笑顔や、時には他人には見せられない泣き顔さえ晒したはずだが、常に泰然と対峙してくれたのはこの“古い友”だった。希望、混迷、悲嘆・・・それぞれの心情と選曲を知り尽くし、雄弁にメッセージを伝えてくれたのだ。

 初めてのボーナスは一夜で消えたけれど、代わりに手に入れた友によってずっと支えられてきた。袋は空っぽになったわけではなかった。別の愛すべきものに中身が入れ替わったのだ。そう信じるからこそ、これからも真摯に耳を傾けようと思うのだ。こんな自分に向けて曲を奏で、唄い続けてくれる限り。