syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

エンドロール

〈昭和の忘れもの〉バイク編㉔

 【CB750four part3】

 ようやく電気系統のトラブルから復調した頃だった。

 バイクの神(そんな物が存在するのか?)はとことん底意地が悪いらしく、小市民に次なる試練を与えた。1速から2速にギアチェンジする際、稀にギア抜けするという駆動系の不具合が発生したのだ。

 調べたところ変速機内のシフトフォークの変形、あるいは摩耗が原因らしい。早速販売店に持ち込んで修理・調整を依頼した。ところが整備後一ヶ月も経たずに同じ症状が現れたので、さすがにクレームを入れた。

 だが、店の対応は歯切れの悪いものだった。

「申し訳ないが、うちでは手に負えない。ホンダのSF(サービスファクトリー)に持ち込まないと」

 SFとは当時ホンダが全国の拠点に設置した、特殊工具・機械が完備されたホンダ車(2輪・4輪)専門の整備工場だ。したがって信頼度は絶大だが、技術料もそれなりに覚悟しなければならなかった。見積もりを依頼すると、我が愛車の場合はエンジン・ミッションを降ろして分解・整備・組み立てで十数万円かかるという。

 すでに電装関連で大金を支払った後だったので腰が引けた。そもそも、販売店できっちり修理できなかったせいなのに。どうにも納得がいかず、つい胸の内で悪態をついてしまった。(やっぱり中古は・・・)

 結局、しばらく検討するということで棚上げとなった。

 先延ばししたところで不具合が治まるわけでもなく、スタート直後のシフトアップのたびに神経質にならざるを得なかった。エンジンのピックアップが優れているのでギア抜けすると一気にエンジン音が高まり、周囲からは嫌悪の目を向けられる。マフラーを改造し、敢えて騒音を撒き散らすことに快感を覚えている暴走族と同一視されては堪らない。

 愛車のCB750fourは無改造だったが、実は“音”に関しては少しだけ申し訳なく思っている部分もあった。というのも当時の騒音規制が緩かったこともあり、CB750の排気音はけっこうな迫力だった。特に始動時は爆発音に近く、早朝の住宅街でエンジンをかけるのは気が引けた。 

 アイドリングにすれば気にならないレベルになったが、バイクとは無縁の人たちには騒音でしかなかったろう。幸い家族と“ご近所さん”の関係は良好だったので、辛うじて目を瞑ってくれていたのだと思う。

 始動に気を遣い、シフトアップに気を遣い・・・そのストレスは日々蓄積された。「雨の日は愛車が傷む」「真夏のヘルメットはサウナ状態の地獄」「真冬の厳しい寒さは骨身に染みる」・・・等々、いつからか乗らない理由を探している自分に気付いた。これには愕然とした。あれほど“バイク愛”を振りかざしていたくせに。

 酷い裏切りだと言われそうだが、決してCB750fourに対する愛情が薄れたのではない。マイナス要素が重なったせいで、対峙するのが苦痛になってしまったのだ。これは大好きな彼女に、ここは改めて欲しいと切望するのに似ている。他の部分が優秀すぎて、些細な欠点が気になってしまうというジレンマ。自分はそれをどこまで許容できるのか? 

 実は、この問い自体が残念な結末の前兆だという自覚はあった。かつて何度も経験した“別れ”の気配に他ならなかったからだ。

SL350は青春そのものだった」過去にそう書いたが、CB750fourもまた、人生の数ページを彩ってくれた忘れがたい存在だ。唯一、行動に理由や意味をタグ付けしてしまうという年相応の悪しき慣習のせいで、非日常性が薄められた事が悔やまれる。

 SL350の時は唐突に手放すことを決めた。決別ありきで、心の準備も手順も無視してしまった。いわば編集もされず、ラストシーンも割愛した映画のようなものだった。制作者であり主人公でもあったはずなのに、これほど不親切で無責任なことはないだろう。

 だから今度はきちんと物語を終わらせ、エンドロールも手を抜きたくなかった。登場人物(&車種)はもちろん、シチュエーションや流れていた曲、陰ながら手助けしてくれた人たち―――それらも可能な限り記録に留めたいと思った。且つ、観客としても“作品”を検証しながら心に刻み、最後のクレジットまで脳裏に焼き付ける事が責務なのだろう。

 たとえその余韻の拡がりと重さにたじろぎ、席を立つことができなくなったとしても。