syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

444(トリプルフォー)の呪縛

〈昭和の忘れもの〉バイク編㉕

 【ホンダ CB750K】

 CB750fourの後釜に、10年ぶりにフルモデルチェンジされたCB750Kが収まることになった。(愛車は新型のマイナーチェンジ版)

 エンジンは4サイクル4気筒で排気量も同じ750㏄だがDOHC(ダブル・オーバーヘッド・カムシャフト)化され、フレームも含めて機能・安全面共に刷新された。対して、スタイリングはオーソドックスで落ち着いた外観である。

 乗り替えに至るには多くの葛藤があった。お察しの通り、プロフィールネームの「銀タン750(ナナ・ゴー・ゼロ)」は手放したCB750fourへのオマージュである。尤も、それは年月を経て初めてその価値に気付いた結果で、己の浅薄さを戒める意味合いもあるのだ。

 750four入手の経緯は以前書いたが、以降、相棒として数多の経験と濃密な時間を共にした。だからこそ中途半端な向き合い方はしたくなかったので、バイク本体のライフサイクルの限界ならば潔く受け入れるつもりだった。その時は「エンドロール」(バイク編㉔)の心情そのままに、自身の2輪ライフそのものに終止符を打つ覚悟だったのだ。

 電装に対する不信、ミッションの不安、各部品の劣化―――それらを総合的に解決するには部品・アッセンブリーの全交換か、手っ取り早く新車を購入するしか途は無かった。しかし、すでに販売が終了していて新車の購入が適わない以上、これを機に2輪を卒業する決断をした・・・はずだった。

 当時、2輪メーカー各社は全盛期であり、小排気量から大排気量まで豊富なラインナップが続々と発売されていた。全般的にデザインは戦闘的になり、中でも目立ち始めたのが、いわゆる“レーサーレプリカ”と呼ばれるスポーツバイクだった。主力の中・大排気量車はフェアリングやカウリングを装着し、レーシングマシンそのものの派手なカラーリングが施されていた。

 街中には“レーサー”が溢れ、古いライダーの居場所は失われたように思えた。ある意味、それは“卒業”の格好な口実でもあった。

444(トリプルフォー)〈4サイクル・4気筒・4本マフラー〉のナナハンが出ればなぁ」

 などと殆ど実現性のない条件を吹聴し、それもまた言い訳の材料とするつもりだった。何より「4本マフラー」という条件は、排気効率や重量増の問題から設計段階で排除される最有力候補だった。ところが、そんな状況の中で4本マフラーのCB750Kが登場したのである。まさか前時代的なレイアウトのバイクが新しく発売されるはずがない、と高を括っていた自分が愚かだった。してやられた気がした。それは、過去に執着を抱いているオールドライダーの鼻先に“ニンジン”をぶら下げられたようなものだった。

 かくて、自分の言葉に責任を取る形でCB750Kを購入することになった。というのは、あまりに苦しい弁明だ。経済的理由でオーバーホールを断念したはずなのに、明らかに矛盾している。だから素直に謝罪し、告白しておく。“ナナハン”に対する女々しい未練だったと。

 メーカーの彼らは心得ていたのだろう。世の中に己の矜恃を旨とするファンがいることを。そして胸を張ってこう言うのだ。

「お客様のニーズに応えるのが我々の使命です」  

 そうした開発チームの熱意を称讃し、新開発のエンジンや安全性の向上を評価して購入を決めた人たちがいたのは間違いない。他方で、どこまでも偏質的な拘りで選択した人間もいるのだ。エンジニアの方たちには申し訳ないが、敢えて、そんなひねくれ者の負け惜しみの声も伝えておくことにする。

 革新的な機能・性能を求めていたのではない。444(トリプルフォー)の呪縛から逃れられなかっただけなのだ、と。