syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

昭和の忘れもの

「虚と実」

【AF(アドベンチャー・フィクション)の世界~海外編~】モノ・コト編㉕

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 推理小説と並んで熱心に読み耽ったのが、冒険・スパイ小説―――俗にアドベンチャー・フィクション(AF)と呼ぶジャンルで、わけても海外の翻訳物には夢中になった。

 日本の作家が云々ということではなく、より非日常を堪能したいと思っていたからだ。己の想像力の欠如が元凶だが、文中に日本人の名前や地名が出てくると、どうしても日常に引き戻されてしまう。他のジャンルならリアリティーという言葉で納得できるのだが、ことAFに限っては勝手に拒否反応のスイッチが入ってしまうのだ。というのも、主要なテーマとなった国家的・組織的陰謀や対立、恩讐や命がけの存在証明―――その舞台に欠かせない兵器や武器を駆使する軍人や諜報員たちの活躍は、やはり非日常でしかないからだ。まして、一般市民が銃器を携帯することなどない日本国内においては、市街地での銃撃戦さえ想像の埒外である。

 写真は書棚に収まっていたAF作品の一部だ。これらは40年も前に書かれたもので、すでに古典と言えるだろう。J・ヒギンズ、D・バグリイ、A・マクリーン、S・L・トンプソン、R・ラドラム、C・カッスラー・・・他にも著名な作家は数多いて列挙しきれないが、悪しからず。

 当時はパソコンもスマホもなく、味方同士の連絡手段ひとつ取ってもドラマがあった。困難を克服するためには、人間が汗と血を流さなくてはならなかった。車も飛行機も、人間なくしては動かす事ができなかったのだ。結果的に、多くの人々が交錯することで物語も生まれたのかもしれない。その辺りが近年の作品傾向とは異なるのだろう。この間の社会情勢の劇的な変容は無視できないとしても。

 ともあれ、そんな理屈を振り払って日焼けしたページを捲ると、懐かしい主人公たちが生き生きと動き回っていてほっとする。登場人物の一挙一動に実感があり、体温が感じられるのだ。もちろんそれは作家の手腕によるものなのだが、音声に反応するコンピューターも、指先で触れるだけで機器が操れるタブレットも存在しないことが最大の理由だろう。加えて、随所に光る秀逸な台詞の数々。

 肉体を駆使し、命の危険さえも顧みない彼らの奮闘ぶりは、読んでいて胸が熱くなる。自身が年齢を重ねたせいか、作中人物が若返って記憶よりも躍動感に溢れているようにさえ思える。そんな彼らの生き様は、愚直だが眩しくてカッコいい。

 男の美学、矜持、ダンディズム。非現実的と理解しながらも密かに彼らに憧れ、自身を投影しようと奮闘した男は多かったのではないか。これはAFという大海の表層を俯瞰し、波頭に煌めく光を目の当たりにした一読者の私見でしかないが。

 深層は容易に見ることができない。虚と実。それはフィクションと実社会との対比ばかりでなく、各人の生活の中にも存在する。

 隣にいる彼女を真剣に愛しているか? 

 仕事と時間、どちらが大切? 

 昨日と今日、朝と夜・・・本当の自分はどこにいるのだろう?

 完成された作品群の前では、現実のほうがよほど危ういものに思えてしまうのは気のせいだろうか。

 

 *追記*

興味を持たれた方は以下を参考に是非一読を。

「冒険・スパイ小説ハンドブック」早川書房編集部編(早川文庫)

「読まずに死ねるか!」内藤陳(集英社