syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

艶舞の舞台裏

〈昭和の忘れもの〉モノ・コト編㉟

日劇ミュージックホール(NMH)】

 少しだけ艶っぽい話である。

 日劇(日本劇場)といえばかつては映画興行をはじめ「エスタンカーニバル」で一世を風靡し、娯楽の殿堂としてショービジネス界の人間にとっては憧れの場であった。また、スクリーンにも度々登場するおなじみの建物は、内部の装飾を含めて建築遺産としても話題となった。

日劇ミュージックホール」略してNMHは、その5階にあった小劇場である。日劇の本公演が表舞台とするなら、NMHは裏舞台ということになるだろうか。

 当初は、ごく普通の男が自然に抱く好奇心から劇場に足を踏み入れたのだが、実体は想像とは全く違っていた。ここで繰り広げられるショーのメインは、一言で言ってしまえばトップレスのダンサーによるレヴューであるが、そこには陰湿な卑猥さは微塵もない。ここで演じられていたショーは、地方都市のス〇リップショーとは別物だ。誤解の無いよう断っておくが、職業としてのダンサーを劇場の大小で差別するつもりはない。裸体は芸術か否かといった論争はさておき、あくまでも“ショー”としての作り込みの差である。

 NMHの舞台は専属の作家・演出家によってダンス、コント、歌が緻密に構成されていた。出演者も多彩で歌手は宝塚から招聘され、幕間のコント・お笑いではブレーク前のコント赤信号マギー司郎立川談志ら実力者揃いであった。さらに、ゲストの脚本家として著名な面々も参加していた。例えば寺山修司なかにし礼そして若き日の三島由紀夫も名を連ねていた。

 こうした事実だけでも、舞台のクオリティーの高さが想像できるだろう。もちろんダンサーたちのプロ意識は高く、舞台上の彼女たちの美しさは息を呑むほどで、かつセクシーだ。ただしそれは舞台表現の結果であり、性を前面に出して媚びているわけではない。踊りの基本はもちろん、表現力を磨いているからこその妖艶さなのだ。

 それは詭弁だと反発する向きもあるかもしれない。そうした意見も自由である。ただし、実際に舞台を見た御仁なら賛同してもらえると思うが、彼女たちが肉体で表現する美しさと躍動感は圧倒的で、感動ものである。劇場の観客たちの昂揚感は、ミュージシャンのコンサートで熱狂するファンたちと何一つ変わらない。

 ショービジネスのほんの一端を目にしたに過ぎないが、彼ら彼女らの舞台を創り上げる真摯な姿勢に対して、己の当初の邪心が回を重ねるにつれて恥ずかしくなった。結果、何事も偏見や先入観は御法度だという教訓を胸に刻み、程なく劇場に足を運ぶことをやめた。

 予期していたわけではないが、再開発のため1981年に惜しまれつつ日劇は閉館。NMHは劇場を移して活動を続けたが、1984年に閉場した。

 しかしその後、NMHに関わった多くの才能は各方面で脈々と引き継がれ、あるいは新たな芽を吹き、エンタメ界でそのDNAは生き続けている。様々な場面でそうした関係者の名前を見聞きすると、己の若き日の純朴さを思い出し、人知れず赤面してしまう。それほど鮮明に舞台で躍動する彼女たちの裸体、いや、凜々しい表情と艶舞(演舞)の輝きは今も脳裏に焼き付いている。

 残念ながら、日劇の名称を引き継いだ「TOHOシネマズ日劇」も2018年2月に閉館し、「日劇」の名は芸能史あるいは都市開発資料の中にひっそりと退場した。しかし、昭和を象徴する劇場・舞台は、表裏共に紛れもなく存在していたのだ。