「漂流の彼方」
【NHK総合『ひょっこりひょうたん島』】モノ・コト編⑭
東京五輪2020が揺れている。(名称の変更はないらしい)
高度経済成長の端緒となった前回の東京五輪の開催年、1964年の4月に人形劇「ひょっこりひょうたん島」の放映は開始された。
といって、両者に因果関係があるわけではない。共通点といえばどちらも目的達成のために多くの技術者、あるいは才能ある人材を集めることができたのが成功の鍵であった。とこれは筆者の私見、まったくのこじつけである。
さて。当時8歳の少年を含め、夕方になると多くの子供たちがテレビの前に釘付けになった。物語は火山の噴火によって島が漂流するという荒唐無稽な設定で、しかも要所がミュージカル仕立てである。だが、少しも抵抗感はなかった。理屈抜きに面白かったのだ。
その要因は熱意と才能溢れるスタッフ、声優陣によるところが大だったといえる。
原作・井上ひさし、山元護久。キャラクターデザイン・片岡昌。イラスト・久里洋二。声優には藤村有弘、楠トシエ、熊倉一雄、小林恭治、滝口順平、中山千夏、増山江威子、etc・・・今にして思えば錚々たるメンバーである。(故人も列記。敬称略)
楠トシエは後に「コマソンの女王」と呼ばれる天才肌で、当日に渡された譜面を初見で完璧に歌えたというのは頷けるとして、コメディアンであった藤村有弘は譜面が全く読めなかったが、他人が歌ったのを一回聞けば、本番では空で歌えたという・・・等々。彼ら彼女らの功績やエピソードは際限ないが、それは芸能・美術ライターの手に委ねる。
つまりはこうした異種格闘技ともいえる才能の結集が、人々の心に残る作品を生み出したのだと思う。節目の年に記憶に残る作品が誕生したことは、時代の必然であったかもしれない。
しかし、この番組名が浮かんだのは、成長した少年が「東京五輪」から連想した無意識の偶然である。時代を牽引する才能はどの分野にも必ず存在する。「ひょうたん島」はあくまでもその一例・象徴に過ぎない。またそれを見出し、認知するのは一般大衆である。
それはあたかも太陽と月の関係のようだ。月は太陽が無ければ光ることはできないが、太陽もまた、月が無ければ自分が輝いていることを知ることはないのだ。
だからこそ自分で輝くことのできない一般大衆は、性(さが)として自分を照らしてくれる“太陽”を探し求めるのだろう。こんなふうに考えてしまうのは自身が小市民の代表だからか。あるいは単なる老化か。
物語の「大団円」で、ひょうたん島の住民は定住の機会を拒否し、さらなる大海原への漂流を決意する―――本当の自分は何処にあるのか? そう問い続けるために。
探求心は消えない。悲しい人間の性(さが)である。
文化とスポーツ。エンタメの窮状に思いが空回りして、テーマがブレてしまったようだ。もとより、同時に語ることには無理があったのだろう。
オリンピック競技の体操のように、E難度の大技の後に肝心の着地が乱れてしまうことは、よくある。