syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

バッグの奥底

〈昭和の忘れもの〉モノ・コト編㉝

【マジソンバッグ】

 マジソンスクエアガーデンバッグ、通称『マジソンバッグ』が学生の間で流行ったのは60年代から70年代にかけてのことだ。

 ご存じの通りマディソン・スクエア・ガーデンとは、NBA(バスケット)の『ニューヨーク・ニックス』、NHL(アイスホッケー)の『ニューヨーク・レンジャース』のホームで、ミュージシャンのコンサート及びボクシングやプロレスなど「格闘技の殿堂」としても有名な米国のスタジアムである。日本でいえば武道館といったところか。

(註:施設名表記は主として“マディソン”。商品名表記は“マジソン”である)

 そのスタジアム名(英字)がプリントされたバッグは日本の鞄メーカー『エース株式会社』のオリジナルで、“本家”には存在しない。ところが、国内で売り出されると爆発的なヒットとなった。ただ、意匠登録がされていなかったので他社から次々と模造品が発売され、粗悪な商品も少なからず出回った。一説には総数1000万個とも2000万個ともいわれているが、野放し状態だったので国内でどれくらい売れたか正確には把握できていないという。

 感覚的には指定のスクールバッグかと思うほどの普及率だった。殊に女子高生は、ファッションアイテムとして持ち歩いていたように思う。同様のバッグながら、オリジナルにはないカラーや異なった材質の製品が氾濫していたことを逆手に取って、彼女たちは各々で個性を打ち出していた。

 とはいうものの、やはり制服にはネイビーカラーが似合った。膝丈のスカートに白い(あるいは紺の)ハイソックス、そしてこのマジソンバッグを提げていれば、たいていの女の子は可愛く見えた。(いかん、これはセクハラか?)

 もちろん相当数の男子も所有していた。人気の要因はそのサイズ感と使い勝手の良さにあった。最低限の教科書類と筆記用具、体操着などを放り込むには最適だったのだ。恥ずかしながら、自身もその恩恵に与ったひとりである。

マジックバッグ』というコンパクトに畳める、今でいうエコバッグ的な便利アイテムもあったが、実用一点張りで野暮ったかった。そこへいくとマジソンバッグはスポーティーで、何より英字の羅列が“おしゃれ”と錯覚させてくれた。

 このバッグを持っている女子はたいてい可愛く見えたと書いたが、真相は、バッグを提げた意中の女子の姿が焼き付いていたせいで記憶が歪められていたのだろう。思春期の男子生徒の目など所詮その程度のもので、いわば錯覚の連鎖である。

 最近では復刻版も販売されていて、それなりに人気らしい。確かに懐かしさはあるが、さすがに改めて購入しようとは思わない。現地には存在しないのに、バッグひとつで憧れが、外国が身近になったように思えた時代。携帯電話もSNSもなかったけれど、自分たちはリアルに人や物に触れて世代の共感を認めつつ、一方で懸命に自我を模索していた―――そんな日常に存在したからこそ意味があったのだ。

 いつの間にか失くしてしまったが、もしもかつて使っていた“現物”が目の前にあったら、現在の自分はいったい何を詰めるのだろうか?

 いや、もはやそんなものはありはしないのだ。唯一成すべきは、思わせぶりに僅かに口を開けたバッグの中身を検(あらた)めることではないか。おそらくそこにはあの子の涼やかな笑顔と共に、切ない思い出や干涸らびた夢の抜け殻が横たわっているのだろう。

 それくらいの予想はつく。なぜなら、流行りモノという共感と同調に引き摺られながらも、屈折した“自分らしさ”を詰め込むことで必死に抗っていた日々を覚えているからだ。だが肝心なのは、そんな“私物”を取り出して白日に晒す覚悟が、今の自分にあるかどうかなのだ。