syouwanowasuremono’s blog

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スーパーサブ

【ミツナガ サッカースパイク「アーセナル」】モノ・コト編⑥

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 中学時代はサッカー部だった。地区予選では勝ち上がるが、県大会では一回戦を突破できるかどうかといったレベルだった。

 明らかな力の差があったことも事実だが、グラウンド(ピッチ)の問題もあった。というのは、県大会の行われるO競技場はきっちり芝生が張られていたのだが、いつも練習しているグラウンドは砂混じりの硬い土で、ターンの踏ん張りもボールコントロールも芝生とは勝手が違った。尤も、芝生のグラウンドを備えている公立中学などほとんど無かったから、条件は同じなのだが。

 他に、スパイク問題があった。全校生徒で共用する校庭が荒れるという理由で、スパイクの使用は試合当日(ホームゲーム)とその直前の練習に制限されていたのだ。普段の練習はアップシューズだったので、履き慣れないスパイクでは実力を出せない者もいた。これには当時の風潮も影響していて、高価なスパイクを長く使い続けられるようにという学校側の配慮もあったのだろう。当然、父兄側も経済的理由で歓迎だった。

 だが、そんな大人の都合はどうでも良かった。当時のサッカー少年にとって、本格的なサッカースパイクは憧れだった。高価だったことも含めて、簡単に手に入れることができなかった現実が渇望感を煽ったのかもしれない。

 一方で、残酷な現実もあった。実質的にスパイクが使用できるのは試合の時だけなので、レギュラーと準レギュラー以外はスパイクを履く機会が無い。試合用のユニフォームとトランクス、そしてストッキングは二、三年の全員が用意していたが、我が校のサッカー部はそれなりに大所帯だったので、三年間試合に出る機会のない部員も多かった。中には早々とレギュラー入りを諦め、割り切ってスパイクを持たない者もいた。

 頭を痛めるのが、当落ギリギリの選手だ。同じポジションの他の選手の出来によって変動する微妙な立ち位置。まさに自分がそれで、前後半どちらかの起用というパターンが大半だった。周りは「おまえはスーパーサブだ」と言って持ち上げてくれたが、いわゆる「切り札」的な能力は無く、そこそこの仕事はできるが・・・程度の半端な存在だという自覚はあった。

 それでもスパイクに対する憧れは当然膨らみ、熟考を重ねてコスパの高いミツナガの「アーセナル」に決めた。ところが近隣のスポーツ用品店では扱っていないことが判明し、大いに焦った。現在のようにネットもないし、通販の扱いもなかった。やむなく、神田の店舗まで電車を乗り継いで足を運んだ。

 そうやってようやく手に入れたスパイクを履いて初めて試合に出た時の晴れがましさ―――あの感激は今でも忘れない。

 結局、このスパイクで臨んだ試合の通算公式記録は1ゴール、2アシストだった。この数字はあの時の昂揚感とは裏腹に平凡そのもので、その後の人生を象徴していたようだ。

 わかりきっていたことだが、我が身に「スーパーサブ」は存在しなかった。