syouwanowasuremono’s blog

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【スズキ AC90(改)part2】バイク編⑩

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 ある時期機械モノに興味を抱くのは、多くの少年にとっての通過儀礼のようなものかもしれない。自身も一時“エンジニア”に憧れて、その方面の進路を考えたことがあった。しかし、頭の構造が理数系に全く適さないことを悟り、早々に夢を諦めた。

 ところが、皮肉なことにそうした才能を持つ人物が身近に現れた。例のW1が不調で立ち往生していたとき、通りかかって修理してくれたのが縁で仲間に加わったBである。彼はちょっと異質な人物(お前の周りは変わり者ばかりじゃないかと言われそうだが)で、仲間が次々と大排気量車に乗り換える中、一貫して原付にしか乗らなかった。

 そもそもオンロードに興味を見せず専らオフロード、それも本格的なモトクロスに情熱を注いでいたのだ。実は彼、プライベーターながらチーム「YAMAHA」の専属ライダーだった。若くして優れたライディングセンスと、メカにも詳しいという能力を買われたのだ。

 チームのオーナーはヤマハのバイク販売店主で、いわば準ファクトリーチームといえた。実際、年式落ちのファクトリーマシンが供給されるほどの実績あるチームだった。

 ある時、近くでマシンのテストランをやるので一緒に来ないかと誘われた。当時は各地にモトクロスのコースが作られ、法規制も緩かったのでビギナーでも結構楽しめたのだ。

 バイクでチームのワゴン車に尾いて行くと、到着したのは××山のモトクロスコースだった。アップダウンが激しく、コーナーも多い難コースだ。

 ワゴン車にはマシンが二台積まれていた。一台はチーム「YAMAHA」で仕上げたMX250。もう一台は一回り以上小さい、見たことのない不格好なマシンだった。

「草レース用に俺が組んだ」

 Bがフレームから手作りしたのだという。フロントフォークやリアサスは各社のマシンからの流用。エンジンはAC90のものだが、オフロード用にチューニング済み。当然ギア比も変更し、ピックアップ重視で組み替えたとのことだった。

 AC90改はキック一発で始動した。甲高いエンジン音と、カストロール特有の匂いの混ざった青白い煙を残して最初のコーナーを目指す。

 20分ほど周回を重ねるのを見ていた。特別速くは見えないが、滑らかな走りだ。

「走ってみるか?」

 オフロードは得意ではないが、所詮90㏄のバイクだ。どうということもない。

 安易な気持ちで走り出したのだが、最初のコーナーに差し掛かった時点で自信は消し飛んだ。エンジンがピーキーでギアチェンジが追いつかず、ブレーキのタイミングも取れない。SL90時代に遊びで別のコースを走った経験があるので、ジャンプは恐くなかったがコーナーワークは思うようにいかず、周回を重ねても初心者レベルのままだった。

「とても俺の手には負えないよ」

「こいつはオモチャみたいなものさ。本番用は戦闘力の桁が違う。そいつをこれからテストして、調整しなくちゃならない」

 MX250は近く行われるレースに向けてのテスト走行のために持ち込んだのだが、本番前に壊してしまっては元も子もない。その点手作りマシンは完全に個人のものなので、Bは自由に走れる。コースの下見程度なら十分との判断だったようだ。

 チーム専属の立場では戦績だけでなく、多くの責任が伴う。殊にプライベーターは資金面ではシビアにならざるを得ない。リスクの軽減も重要なマネジメントの一環なのである。

 Bは一年前に高校を中退していて、レースに総べてを懸ける覚悟を決めていた。すでに名実ともにプロフェッショナルだったのだ。同い年ながら凄い奴だと唸らされた。

 それからしばらくは付かず離れずの関係が続いたが、次第に疎遠になった。おそらく、自分の夢に完全にシフトしたのだろう。そう考えると、寂しさもいくらか薄らいだ。

 あれから40年。単なる好奇心でしかないのだけれど、Bのその後についてはひどく気になっている。どこかのメーカーのテストライダーとか、あるいは車両開発の技術屋として名前を残していたら、ちょっとカッコいい!