syouwanowasuremono’s blog

懐かしい旧車・モノ・コトにまつわる雑感

昭和の忘れもの

「空っぽの箱」

【日産 スカイライン2000GT-R(ハコスカ)】 クルマ編②

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 かつて日本のレースシーンにおいて輝かしい戦績を収めたマシンの市販版である。

 直線的なデザインから箱型のスカイライン、通称「ハコスカ」としてファンの間では今でも高い人気を誇り、レストア済みの程度の良いものは新車価格の十倍以上で取引されていると聞く。
 70年代の当時でも高級車(高額車)の部類だったこともあるが、個人的には好きになれなかった。車に罪はないが、たまたまこの車に乗っていた人物(友達の知り合いという程度の関係だった)と相性が悪かったのだ。
 何事にも流行りというのがあるらしく、この車種に稀に見られた過激な改造があった。それは、運転席以外の座席を総べて取り外してしまうというものだった。彼らは「軽量化のため」と公言していたが、レースに出るわけではなかった。単に、サーキットと公道を混同した無知な連中としか言い様がない。“友達の知り合い”はまさにこの類だった。
 極めつけは座席を無くしたフロアにシャギーの絨毯を敷き詰め、リビング化していたのだから呆れる。当時はシートベルトの未装着に罰則がなかったとはいえ、高速道路を時速100㎞以上で走行している車内で、同乗者が絨毯に寝そべっているという恐ろしい光景がまかり通っていたのだ。
 さて、その問題の人物というのは不動産屋の跡取りで、後のバブル期に一気に会社を成長させた。その後も実に巧みに時流に乗り、現在も優良企業として地元では一目置かれているそうだ。いやはや、世の中はどうして彼らに寄り添うのだろうか。
「奴が乗ってたのは、車内がスカスカの箱っていう意味の“箱スカ”。中身が空っぽなのは当人も同様さ」
 そんなジョークともやっかみとも取れる言葉を誰かに投げられても、彼のようなタイプの人間は痛痒を感じない。何より会社を成長させ、それを維持している実績がある以上、経営者としては有能ということになるのだろう。
 聞くところでは彼の現在の愛車はフェラーリで、価格は3000万円以上とか!
 驚愕。羨望。そして・・・真っ赤な車体を妄想し、庶民は嘆息するしかない。

昭和の忘れもの

「律儀」

ヤマハ XS650】 バイク編⑤

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 大排気量バーチカルツイン特有の重厚な排気音と振動、一方で意外なほど素直な操縦性が持ち味だった。

 このバイクにも二ヶ月ほど乗っていた。仲間のFの所有車だったが、彼にその愛車の運転の”代行”を託されたのだ。

 どういうことかというと、Fは懸命にバイトをしてバイクを早々と手に入れたにも拘わらず、その時点ではまだ自動二輪免許を取得していなかった。本人の名誉のために詳しくは書けないが、要するに試験に合格できなかったのだ。

 目の前には汗水流してようやく購入した愛車があるというのに、それを自分で走らせることができないとは。大好物を目の前にしてお預けを食った忠犬状態・・・これに勝る苦行はないだろう。ただ、Fは生真面目で自制心の強い人間だったので、ルールは破らなかった。

 そんな彼は、(その日まで)やむなく仲間に運転を委ね、本人はタンデムシートに甘んじる道を選んだ。そうまでして、やはり愛車で走りたかったのだ。

 Fがライダーとして自分を選んでくれたことは嬉しかったし、誇りにも思ったが、本音では気が重かった。何しろ、他人の大型バイクと当人の命を預けられていたわけで、これは大いなるプレッシャーでしかなかった。しかし、おかげで慎重なライディングが身についた。

 二ヶ月後、Fが無事に試験に合格し、晴れて愛車を駆る姿を見て複雑な気分になった。ほっとしたような寂しいような奇妙な感情だった。いや、正直に言ってしまおう。

乗り慣れたビッグバイクが自分のモノではないという現実を突きつけられ、見当違いの喪失感と羨望に翻弄されていただけだ。

 それでも、振り返って今さらながらに思う。無免許運転の誘惑に耐えたFもさることながら、仲間の律儀さをリスペクトして、ストレスを抱えながら二ヶ月間”運転手”に徹した自分もちょっぴり褒めてやりたい、と。

 

昭和の忘れもの

「平和の行方」

【ピースマークのペンダント】 モノ・コト編③

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 起源が核軍縮のシンボルとは知らなかった。

 ファッションとは無縁だったが、何を勘違いしたのかこのペンダントを首にぶら下げていた時期があった。十六、七の頃だったと思う。何も知らないまま、巷での流行り物らしいというだけの理由だった。

 日本では学生運動が下火となり、一方で米国内のベトナム戦争に対する批判に端を発した反戦運動平和運動の象徴として世界中に拡がった......そんなムーブメントがあったことを知るのは何年か後のことだ。

 それまでは退屈な授業をサボり、目の前の享楽に流されてばかりのお気楽なティーンエージャーだった。逆説的に、自由・平和を享受していることには気付けなかった。すなわち、何も意識しない生活、脳天気でも生命を失うことのない世界の存在について。

 現在、多くの人々が何気ない日常の重みを痛感していることだろう。普通の生活をするためにどれだけ多くの人たちの英知と努力、エネルギーを必要としているかも。

 どうやら前時代的な合い言葉となってしまった「ピース!」。向けられたカメラに笑顔でピースサイン(Vサイン)を返す人たちに対し、「ダサい」「時代遅れ」と嘲笑う若者、いや老若男女全員に問いたい。

この先の平和とは何か?」と。

 かつての輝きを失ったペンダントを眺めつつ、当時の自身への自戒も込めて・・・。

 

*追記*

 いかん。柄にもなく前のめりになってしまった。

 無難にまとめたつもりだったが、自粛こそが美徳であるらしい現状では、”声高に”物申すことも控えるべきか? と戦々兢々である。

 そうはいっても、今から覚悟が必要だろう。「自粛」の二文字が退場しても、いずれ「自己責任の下で」との但し書きが取って代わることに。

昭和の忘れもの

「ムズムズ」

【ホンダ ホワイトダックス70】 バイク編④

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 書棚を整理していると、奥から小さなプラモデルのキットが出てきた。ホンダのホワイトダックスである。

 いくつかの部品をはめ込むだけの簡単な代物で、以前友人から貰ったものだ。彼が知っていたかは定かではないが、かつて実車に乗っていたことがあるので、その食玩のおまけのようなキットが殊の外愛しく思えた。

 コンパクトな白い車体に花柄のシート。今考えると不思議でならないが、当時は気恥ずかしいという意識は皆無だった。何しろ、なりは小さくてもこいつはれっきとした自動二輪車だからだ。原付を後目(しりめ)に、時には野郎同士が身体を密着させ、意気揚々と街中を疾走したものだ。

 その見かけとは別物の力強いエンジンの唸り、お洒落な車体とそれを駆るニキビ面の高校生とのアンバランス。それはそのまま、当時の自分の心の有り様を表していたように思う。細かな場面は忘れても、あの小さな白い車体から見上げた街の風景や人々の姿は脳裏に焼き付いている。

 殊に、塾へと急ぐ上級生の真剣な眼差しや、日焼けした顔に白い歯を覗かせていた部活帰りの女子の溌剌さ・・・そのいずれもが眩しく見えた。

 この時胸に湧き出した妙に落ち着かない、焦りにも似たムズムズした感覚の原因は、尻の下の花柄シートのせいではなかったのだろう。

昭和の忘れもの

「文通」

NEC ワードプロセッサー 文豪mini7G】 モノ・コト編②

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  悪筆がずっとコンプレックスだった。

 特に意識し始めたのは中学生になった頃か、字の上手い級友が羨ましかった。文字の綺麗な女の子は、それだけで可愛さが五割増した。

 そんな初心なのか不純なのかわからない少年にも、恋心を抱く相手が現れた。そしてどういう展開か、文通を持ちかけられた。一時は舞い上がったものの、冷静になって慌てた。下手くそな字を彼女に見られたくない。馬鹿にされたらどうしよう?

 不安を抱えたまま何度か手紙のやりとりをしたある日、恐れていたことが現実になった。あまりの悪筆に嫌気がさしたのだろう。文面の詳細は覚えていないが、最後の「さよなら」の文字だけは鮮明に記憶している。

 この件がトラウマになり、すっかり筆無精になった。

 歳月が流れ、元少年はこの「文豪」を手に入れた。ワープロがようやく普及し始めた頃だったが、早々と手書き文書からの逃亡生活を始めていたこともあり、こいつは二台目だった。

 ある晩、いつものように感熱紙に打ち出された文字を眺めていると、ふいに十年前の少女の顔が浮かんだ。

 あの時ワープロがあったら、自分はどうしただろう? 

 彼女からの手紙の返事をワープロで? まさか、さすがにそれはないだろう.....

 すると、妄想の中の少女がポツリと漏らした。

『○○君は字のことばかり気にして、ちっともあたしのことなんか考えてなかった』

 頭を殴られたような衝撃だった。

 十年経ってようやく真相に辿り着いた気分だったが、トラウマの原因がAからBに替わっただけで、相変わらず手紙は大の苦手である。

 ああ、やっぱり字の上手い人間が羨ましい!

 

昭和の忘れもの

「記念写真」

【旭光学 ペンタックスMX】 モノ・コト編①

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 当時、世界最小・最軽量を謳っていた35ミリ一眼レフカメラである。

 このMXを手に意気揚々と野山や海、街中を巡ってシャッターを切りまくった。

 半年ほど経ち、山積みされた紙焼きを眺めて愕然とした。思い描いていた「感動した場面」は何処にも写っていなかったからだ。被写体の上っ面しか見ていないことが明白だった。

 己の撮影センスのなさを棚に上げて言うのも気が引けるが、人は新しい道具を手にするとつい勘違いしてしまうものらしい。それが持つ高機能が、さも自身の能力であるかのように。

 それまで、記念写真の類いやスナップショットはコンパクトカメラの領域だと勝手に決めつけていた。敢えて一眼レフを駆使するなら、一線を画した特別な一枚にしなければならない・・・そんな愚かな気負いが未熟な「作画」に走らせ、凡作の山を築かせたのだった。

 そこでようやく気付いたのだ。肝心なのは感性であり、何気ない日常の一コマがシャッターを”切らせて”くれるのだと。そして、その一枚一枚が自分にとってはどれも大切な「記念写真」であり、不要な場面などないのだと。

 以来、すっかり肩の力が抜けた。おかげで、世界最軽量のカメラはさらに軽くなった。

 

昭和の忘れもの

「主従関係」

マツダ ファミリアプレスト・ロータリークーペ】 クルマ編①

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 サイドのシルエットとリアエンドの美しさ、独特なT字型のインパネが魅力だった。

 静粛性とスポーツ性能の両立が売りのロータリーエンジンだが、最大の弱点は燃費の悪さである。小型軽量にも拘わらず、街中ではリッター5㎞しか走らない。現代のハイブリッド車が概ね30㎞近く走行できることを考えると、絶望的な数値である。

 地方にドライブ旅行に出掛けた時は、ほとんどガソリンスタンドを探すために走っているような気分になった。その際の旅費の配分はまずガソリン代、次に自分の食費、最後が宿泊代だ。そんなわけで、野宿や車中泊になることも珍しくなかった。これは貧乏旅行の宿命、いや、醍醐味である。

 とはいえ、東北を巡ったおり、一日のうち21時間を車中で過ごしたことがあった。食事とトイレ以外はほとんどの計算だ。名物の土産を買うこともなく、果たしてこれは旅行と言えるのか? 自問自答しながら3年、この大食いと付き合った。その反動で、こちらはすっかり小食のハイコスパ人間になった。

 後年、「省エネ」が叫ばれる時代がやってきたが、優先順位は変わらず自分が最下位だ。クルマ以外にも増えてしまった家電や機器に生活を合わせ、従ってしまうという哀しい習い性は、容易には消せない。